阪大言語文化研究科言語文化専攻長に、ドイツ哲学専攻の我田広之さんが就任したようだ。この職は、昔は言語文化部長というものだったが、阪大が大阪外国語大学と合併した時に、言語文化部が外大と合体して「言語文化研究科」になり、旧・言語文化研究科を「言語文化研究科言語文化専攻」、外大のほうを「言語文化研究科言語社会専攻」としたためにこんな長ったらしくややこしいものになっている。
 さて、我田さんは東大比較文学に学んだ私の先輩で、東大ドイツ科の出身、確か1955年生まれである。我田さんは修士論文で、ガダマーとハーバマスの論争というのをやったのだが、時は1983年、佐伯彰一先生が主任教授をしていた最後の年で、哲学嫌い、ドイツ嫌い、日本をやらないやつは異端、という情勢になっていて、そのまま放り出されてしまい、図書館情報大の助手になった。以後東大比較とは無縁のまま、いつしか阪大に移っていた。もうそのあと芳賀主任の時代になると、日本をやらないやつは修士で追い出されるか冷遇されるかという時代が続いた。日本をやらないでかわいがられたのは美人のAさんくらいだろう。
 で私が阪大へ行って我田さんに会って、その年の暮れに佐々木秀昭さんの出版記念会で古田島洋介さんの隣に座ってその話をしたら、「えっ、我田さん? 我田さん、阪大にいるの?」と。古田島さんには一年先輩だった。まあ阪大にいることは名簿を見れば分かったのだが。 
 そういえば我田さんは組合の委員長をやっていたっけ。