和泉司よ

 川口則弘さんが原稿料ただで書いた論文が載っている『日本文学』(日本文学協会)の11月号に、和泉司(1975- 、慶大専任講師)の、芹沢光治良についての論文が載っているのだが、その中で、註に私の『川端康成伝』が出てくる。書評とか紹介は絶対しないらしいが、まあ言及してくれるだけでよしとしたいところだが、そうはいかない。だってこれは、「M・子への遺書」で龍胆寺雄が「文壇から追放された」という平浩一の、事実誤認に基づく説を本文でくりかえした上で、小谷野はそうではないと言っているとしているところなのだから。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20111209
 私の説に反対であるなら、註でこそこそ言及していないで、きちんと議論しましょうね和泉君。それにこれ、看過できない問題を含んでいる。和泉は「小谷野は追放につながったとは言えない、と主張している」と書いている。だが、「つながった」ということを私は書いていないのである。単に、「M・子への遺書」以後、ぱったり龍胆寺が大きな雑誌から姿を消したなどという事実はない、と言っているのだ。ところが「つながった」を入れると、「だんだん消えていった、その遠因になった」というのを私が否定していることになってしまう。私はそんなことは言っておらん。
 だがこの論文全体が、どうも怪しいのである。和泉は、芹沢光治良の評価が高まっているとか定評を得ていると言うのだが、芹沢については、どうやら顕彰団体のようなものがあって、国文学界や比較文学会に働きかけているらしいのである。もう七、八年前に、『解釈と鑑賞別冊 芹沢光治良』というのが出て、私はバカ正直にも買い込んだのだが、ヨイショ文だらけで、とても学術誌と言えるものではなかった。さる近代文学研究者は、それは分かっていたから買わなかった、と言っていた。
 『人間の運命』も、新潮文庫では品切れで、勉誠出版から出てはいるが、売れているとは言えない。また先の『解釈と鑑賞』の編者は渡部芳紀と野乃宮紀子で、だいたい芹沢ヨイショをやっているのはこの二人なのである。キリスト教の関係なのだろうか。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20131203
 現時点で、芹沢がノーベル文学賞候補だった痕跡などあとかたもないのだが、和泉司は、野乃宮の伝記について「調査の精度が非常に高い」と言うのである。何をかいわんやだ。真面目にやれ。
小谷野敦