粕谷一希と山口昌男

 京谷秀夫の『一九六一年冬 『風流夢譚』事件』(平凡社ライブラリー、元本は一九八三年晩声社)に、「風流夢譚」は『中央公論』という総合雑誌に出たから目だって問題になったのだとあり、実は深沢七郎には当時、文藝雑誌に載せたもっと危ないエッセイがあったのだが、これは隠した、と書いてある。
 「二つの夢」(『新潮』一九六一年二月)で、小森一孝が嶋中社長邸を襲ったのは二月四日なので、これは一月七日に出たはずである。そしてこのエッセイは、おそらく深沢の著作のどれにも収められていない。『生きているのはひまつぶし 深沢七郎未発表作品集』(光文社,2005)にも入っていない。ややとりとめがないが、政治家の話と、松川事件無罪判決についての感想で、深沢は、検察と裁判所は仲間だから有罪になるだろうと思っていたと書き、明治天皇も太閤秀吉も死刑になったのだと思っている、とある。(もしどこかに収録されていたら教えてほしい)
 で、これを入手して、もしかして根津朝彦(1977− )の『戦後『中央公論』と「風流夢譚」事件 「論壇」・編集者の思想史』(日本経済評論社、2013)に書いてないかと思ったのだがなかった。根津は、法政大と京大を卒業、同志社大修士総研大で博士号と、あちこち転々とした人だが、あとがきを見ると田中優子を師と仰いでいるようで、田中が朝日新聞で書評していた。粕谷一希にも取材したらしく、粕谷については詳しく書かれているように見えるのだが、前から私が疑問に思っている、1976年の粕谷の『中央公論』編集長解任事件については、相変わらず分からなかった。
 この事件は、粕谷が『中央公論社と私』(文藝春秋、1999)に、中公がいったん倒産し、嶋中家の手を離れたあとで明らかにしたものだが、山口昌男が、のち『知の遠近法』としてまとめられる「時評’76」を『中央公論』に一年間連載した時、最後の二回が「天皇制の深層構造」で、担当は早川幸彦(のち新書編集部長)だったが、編集部の「A君」が、「大変です」と、嶋中と重役の高梨茂のもとへ、粕谷にも早川にも相談なく直訴し、問題の箇所は削除され、粕谷は解任されたという。そのためか、この連載は中公で本にならず、岩波から出た。のち同時代ライブラリーに入った時はその部分もあったが、岩波現代文庫に入る時、その二回分は『天皇制の文化人類学』に入ったため削除されている。
 これは謎の「事件」で、まず「問題の箇所」とはどういうところなのか、また著者に無断で削除したら著作権法違反である。そして山口もこの件では今のところ何も語っていない。そして、削除されたなら単行本化の際に復活しているはずだが、『中央公論』掲載分と同時代ライブラリー版を比較したが、同一であった。
 さらに粕谷は、自分はそれを読んでいないが、読んでいたらやはり訂正を要求したかもしれないと書いていて、大変嫌な印象を与えるのである。自身の解任の原因になったものを「読んでいない」というのは、私には嘘としか思えないのだ。なぜこの経緯で粕谷が解任されるのかも分からない。根津の本は、その肝心のところに突っ込めていない。
 もしかすると、「風流夢譚」に触れた部分があり、削除されたのを、山口自身が単行本でも復活しなかったのかもしれない。それにしても、この事件を追及しようとする人がいないのは不思議だ。なお、山口がここで展開しているのは、網野善彦系統の記号論天皇論で、それ自体としてはともかく、近代の天皇制とは何の関係もない。もちろん山口は関係があると思っていた。
 何しろ私は粕谷の人格というものをまったく信用していない。右翼であろうと何であろうといいが、それについてきちんと議論しようとしない人間である。坪内祐三都市出版を辞めた時のいきさつを読んでも、まったく暴君としか言いようがない。
小谷野敦