深沢七郎異聞

 「週刊現代」の書評で枡野浩一さんが、「悲望」は芥川賞候補になるだろうと思って知人の有名書評家も同意してくれたがならなかった、と書いてくれた。この書評家は豊崎さんかな? まあ、お悔やみありがとうございます・・・。
 芥川賞直木賞の候補になって落選した人の怨恨や無念はよく聞くが(筒井康隆吉村昭車谷長吉−筒井は直木賞選考委員皆殺し小説を書き、車谷は芥川賞選考委員に丑の刻参りをしたと書いた)、候補にもならないと、はあさいざんすか、お呼びでない、こりゃまた失礼いたしました、ってな気分になる。
 実は芥川賞史上、村上春樹とか津島佑子とか、大物が受賞していない例は多いが、候補にさえならなかった、という大物がいる。深沢七郎である。深沢の「楢山節考」は各方面絶賛だったのに、ならなかった。処女作だから、というのでないことは、その直前に、文學界新人賞をとった石原慎太郎がそのまま芥川賞まで突っ走ったのをみれば、当たっていない。しかも、深沢はその後も続々と、今も読み継がれる名作短篇を書いているのに、候補には一度もなっていないのだ。もっとも、六〇年に発表した「風流夢譚」以後、深沢は長くタブーになった、とは言えようが、深沢ほどの大物作家が候補にすらなっていないというのは空前絶後であろう。こないだ『文藝春秋』で、芥川賞をめぐる事件とかいうのをやっていたが、これは、知られざる事件である。
 (小谷野敦

付記・アマゾンのレビューが一件だけあったが、こんな補記がさっきついた。

(2007/9/5補記)
週刊誌の書評で、芥川賞候補にならなかったのが不思議だとか書いていた。
ピアノが弾けなくても聴いて巧拙は分かる。
素人目にも、本書の文章は芥川賞候補のレベルではない。

技術的批判なら甘んじて受けると言ったが、芥川賞のレベルってそんなに高いものかねえ。受賞作を見てさえ、ひどいものがあるよ。辻仁成藤野千夜大道珠貴中村文則。この中で一番ひどいのは中村だが、中村の受賞作のほうが私より文章がうまいと言うなら、ちと鑑賞眼を疑わざるをえないね。