話の片思い

 私が竹下景子さんのファンだった1978年春、世間でも竹下さんは人気者で、「結婚してもいいですか」なるシングルレコードを出した。歌は下手だった。舞台は鎌倉で、恋人はいるのだが煮え切らない。そこへ、母が見合い話を持ってきた、そこで彼に会いに行き、「結婚してもいいですか」と訊くという歌である。高校一年にはやや難しい歌であった。
 それから半年後くらいに出たのは、「私歌」とも言うべき、九歳下の弟さんが生まれた時のことを歌った曲で、題名を忘れた。歌詞は、

 九つでした その夏私は 弟が生まれ 病院に行きました。
 かわいいよりも 不思議な気がして すみっこでうずくまっていました。
 帰りのバスで わたしのクマちゃんを あげてねと父が 耳元でささやきました。

 という。私は竹下さんの九つ下なので、印象に残る。
 そのころラジオ番組内に「竹下景子の話の片思い」というコーナーもあった。メイン司会者の男が、誰だっけ、割と竹下さんをおちょくるので怒っていた。中には、「竹下さんにお便りが来ています。(読み上げて)レモンちゃんへ…。ケイコはケイコでも落合恵子さんでした」などというのがあって、今思うとあれはいじめか? 
 たぶんゲストが来て話をする仕様だったが、竹下さんはその当時、「今、アメリカでは、how to be loved ということが言われているそうです」などと何度か言っていて、当時は、すごいインテリ女優に思えたものである。今考えると、うーん、であるが。
 だがその当時、既に関口照生とつきあっていて、それをすっぱ抜かれていた。で、関口宏が司会をする番組に出て、鎌倉で話をしたのだが、関口、「確かあの方も関口さんでしたね」とか言っていた。
 大女優にはならなかったが、いいポジションを得ていると思います。 

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ゆきゆきて、神軍」の冒頭で、新郎の太田垣俊和が歌っているのは、神戸大学の「白陵寮歌」であることが分かった。
http://home.kobe-u.com/ouendan/song.html 
 だが太田垣は、一番の一行目から二番の二行目へ飛び、最後は三番の最終行を歌っている。

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校條剛の『ザ・流行作家』に、川上宗薫が死んだ時、弟子といえる人に、「わが師、川上宗薫」を『小説新潮』に書いてもらったとあり、その中に、夫人の私事に触れる個所があった、とある。これが分からなかったので川口則弘さんに尋ねて、浅利佳一郎が、1986年5月号に書いたものであることが分かり、読んだ。ああ、ここだな、と分かった。