金閣寺の謎

酒井順子さんから『金閣寺の燃やし方』を送ってきた。どうやら三島由紀夫割腹四十年とかで、書店にも三島関係の書籍が多くて気持ち悪い。私は三島が嫌いなのである。よく混同されるが、好きか嫌いかというのは、学問的に正しいかどうか、文学として優れているかどうかとは、重なるけれど微妙にずれる。私は三島の通俗小説や戯曲はいいと思うが、純文学作品は全然ダメである。『金閣寺』はもう、わけが分からないのの筆頭で、大学一年の時に、「『金閣寺』を読んで三島を読むのをやめた」と言ったら「そりゃあ、やめるよ」と言われたことがある。
 しかし酒井さんは『金閣寺』が好きらしい。私は今まで周囲に、三島が好きだという男をあまり持たなかった。女では、あの美文がいい、という人が何人かいた。鶴田欣也先生が『金閣寺』について論文を書いていたが、分析するだけのつまらないもので、あとで、『金閣寺』好きなんですかと訊いたら、いや好きではないと言っていた。
 酒井さんの本は、三島の『金閣寺』と、水上勉の『五番町夕霧楼』『金閣炎上』を比較して論じる文藝評論である。水上は例の金閣寺を焼いた男を知っていた。しかし私は、この金閣寺を焼いた男にも、何の興味もない。ないない尽くしである。そういえば谷崎先生も『金閣寺』については何も言っていなかった。
 さて酒井氏著はもう異文化接触みたいである。まず「ですます」調。「平成」なんて年号を使う。人名に「氏」をつける。酒井が関心をもつこと、述べる感想が、ことごとく私と合致しない。
 首を傾げるような記述もある。
p.20 足利義満が「誕生の直前に祖父・尊氏を亡くし」それは「亡くし」とは言わないだろう。
 義満が天皇になろうとしたのはものすごくラディカル、私たちなら、「跡継ぎがいないなら女帝でも」「親戚から」と思うが、義満は…。いや私は天皇制廃止を考えるから「私達」ってくくらんでほしい。
華族でもないのに学習院に入った、ということを書いているが、どうも酒井は「華族」と「平民」の間に「士族」がいたことを忘れていやしないか?
・p.43 金閣寺焼失を嘆く「京都大学教授」の談話が出てくるが、なんで名前を書かない?
・p.111 三島の「学習院もの」を読むと、皇室ゴシップを読むような喜びを私達に与える、とあるが、じゃ白樺派はどうなるのだ。
・p.162 「南泉斬猫」の話の発端を、猫の所有を争った、と三島は書いていて、酒井もそのまま引いているが、これは三島の間違い。猫の本質について議論していたのだ、とは呉智英さんが言っているが、酒井順子が呉さんを読むのは想像できない。
・p.251 日本人は今でも、三島的な上昇志向と水上的な屈折した劣等感を持っている。「どうせ日本の田舎者」「どうせガイジンは心の中で日本人をバカにしているのだろうな」と思ってしまう、という。私は、そういうことは思わないのだなあ。そういうことは、敗戦後の日本で若い時代を過ごした年代の人が考えることだと思っていたので、酒井が考えていることに驚いた。