少年ドラマシリーズ補完計画

 『タイムトラベラー』の主役だった島田淳子は当時14歳、かわいかったが顔がまん丸で、小太りなのではとさえ思えるが、のち浅野真弓と改名、『マリコ』の頃は17歳でけっこう美人になっていたが、『ウルトラマン80』では23歳でほとんど絶世の美女になっていた。これはDVD『ウルトラヒロイン伝説』に映像がある。この人はのち柳田邦男原作の『マリコ』にも出ているが、前の『マリコ』は高谷玲子『静かに自習せよ』が原作。しかしこの高谷という人、国会図書館で見ると20代で死んでいる。
 ケン・ソゴル役で人気のあった木下清は『少年ドラマシリーズのすべて』で、今はトラックの運転手をしていると語っているが、1976年頃には藝能界を引退していて、コックの修業をしているという大きな記事が「朝日小学生新聞」に載ったことがある。私は中学生になっていたが、弟が小学生なのでとっていたのだ。
 上原ゆかりが主演した『霧の湖』は完全DVD化されているが、よく覚えている。久生十蘭の『肌色の月』が原作で、久生は完成せずに死んだので結末は夫人が書いたという。本名ではないのに夫人は久生幸子と名乗っているが、江藤淳夫人も江藤慶子と名乗った。原作とは主人公の設定が違うのだが、最後に、死んだと思われていた木村功が、愛人と一緒にいるのを上原ゆかりが目撃して「綺麗な人」と言い、自分が愛人だと思われたことをおかしがるのだが、気の毒ながらその年長の女優はちっとも綺麗ではなくて上原ゆかりのほうがずっとかわいかった。
 世間的には「少年ドラマ」は断続的に続いたことになっているが、実際には1978年3月で終わっている。その最後の『寒い朝』は石坂洋次郎原作を原題通りドラマ化したもので、映画の時は『赤い椿と白い花』で、吉永小百合らが歌う主題歌が「寒い朝」だったが、このドラマ『寒い朝』の主題歌が実にいいのだ。私は75年以降の少年ドラマの主題歌・主題曲はすべて録音してある。
 その『寒い朝』のヒロインをやった吉田由美子というのが美少女ですっかりファンになったのだが、その後まったく消えてしまい残念だった。

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坂の上の雲』はまあまあかな。フィルムでもない不思議な質感の画面であった。挿入される古い写真(疑似を含む)が、当時の貧しさをうまく表現していたし、明治が明るくはないことも分かってまずまず。
 高橋是清の「語学はバカになってやらなければ」という台詞はよろしい。語学というのは人によっては退屈なものだが、それでもやらなければものにならない。「共立学校」が「きょうりゅう」と読むことを初めて知った。日々勉強である。

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山岡荘八という作家を読んだことがなかった。『徳川家康』全26冊は講談社文庫にあったが、それ以外のものが普及したのは、1987年大河ドラマ独眼竜政宗』の原作になった時に「山岡荘八歴史小説文庫」が出てからである。
 『徳川家康』は吉川英治文学賞をとっているが、あまりの長さに敬遠していたのである。
 それが、かつての大河ドラマ春の坂道』の同題の原作が『柳生宗矩』となっているのを、読み始めて驚いた。確かに人が動いているし、筋は漠然とながら分かるのに、文章がおかしい。はじめは何か凝った書き方をしているのかと思ったが、平然と「エネルギー」のような外来語を使っている。「ポタポタ」とか、凡庸な擬音が多い。要するに下手なのである。
 そこで初めて『徳川家康』を見てみたら、こっちはまだましだが、文章や書きぶりにまるで格調がない。いわゆる「歴史もの」言葉で、地の文も平凡である。
 直木三十五吉川英治、海音寺、司馬と、みな文章は巧い。木村毅からバカにされて、みな勉強した。吉川は林房雄に「奇文」と言われているが、それも一種の独自性である。山岡には、それすらない。ただただ凡庸で愚鈍な、テレビの時代劇みたいな描写と筋立てが続くのである。池波正太郎にも、ちょっとそんなところがあった。
 なんとなく、山岡荘八は、評価が低いような気がしていた。それに、納得が行った。
「於国の行為はいよいよ大胆に、いよいよもの狂おしい狂態になってゆく」
 「もの狂おしい狂態」って…。とてもこの文章を26冊読み通すことはできないから、私は生涯『徳川家康』を読むことはないだろう。
 全集が出始めた隆慶一郎も、文章はひどかったなあ。