もう八年くらい前になるだろうか、私が、自分で料理が作れないと書いたら、ネット上で、「もう家庭料理などというのは崩壊しているのだ。男も自分で料理くらい作れ」と叱咤してきた者がいた。
岩村暢子の『<現代家族>の誕生 幻想系家族論の死』は、のち改題して新潮文庫に入っているが、1960年代生まれの女性から、既に家庭料理は崩壊したのだと、2003年くらいのマーケティング会社のアンケート調査をもとに記述している。この副題はしかし誤解を招くよ。
だが、この調査は、階層的差異を考慮に入れていない。それと、それ以前の「家庭料理」なるものが、昔から受け継がれてきたものだという前提は、この方法では検証できない。「家庭料理」の源流は、徳川時代の豪農、豪商の家で、料理人や女中が作っていたものであり、それに近代的な西洋料理のメニューが加わったものであるから、中層ではどうか知らないが下層民にはあまり関係ない。昭和に入るころ成立した近代主婦というのが、婦人雑誌で見たり、戦後には料理教室へ通ったり、テレビの料理番組を見たり、新聞に出ている料理法を切り抜いたりして作り上げたのが、「近代家庭料理」で、実はそれ以前にそんなものがあったわけではない。岩村の手法は、女性問題系の社会学者が陥る方法上の誤りを引き継いでいるとも言える。
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http://news.honzuki.jp/Atsuko_Maeda_surpassed_Christ
「ドン・ファンはときどき「いやお前、それテキトーに言ってるだけだろ」ってことばを弟子のカスタネダに対して放つ。
でも受け手がマジでさえあれば、どんなフレーズでも真理になる。」
カフカの「君と世界の戦いでは、世界に味方せよ」(正確には「君と世界が決闘する時は世界の介添え人となれ」)ってのもテキトーに書いただけなんだが、本気にして論争したのが加藤典洋と富岡幸一郎。