竹山道雄の『続ヨーロッパの旅』(1959)に、妙によく引用される一節がある。竹山がフランスの大勢の食卓についたら、血だらけの豚の頭が出て来たので、こういうのは、とためらっていると、若い娘が、「あら、神様は人間に食べられるように豚や牛をおつくりになったのよ」と言うから、竹山が、「ぼくも小鳥くらいなら頭からかじることはあるけれども」と言うと、娘は、まああんなかわいらしい小鳥を、と言ったと言い、そこから「怪しい日欧比較文化論」になる。
 磯部忠正という人が『日本人の信仰心』(講談社現代新書、1983)で引用しているのだが、だいたいフランスで、血だらけの豚の頭を出したりするか、そういうことがそうそうあるか、というのが疑問で、かつそれに対する竹山の「小鳥を頭からかじる」とは何であるか。とても一般的な話をしているとは思えないのだが、こういう特殊事例をもとに、西欧人は獣くさい、とか平川祐弘あたりが論じるのである。
 むしろ、血だらけの豚の頭を食膳にあげそうなのはシナ人ではないか。食えるものは何でも食ううと言われるシナ人である。ところがそれでは「東西比較文化論」や「キリスト教はこれだから……」にならないので、こういう異様な事例をあげ、また人が引用するのである。なお磯部もそうだが、『ヨーロッパの旅』と書いているが、「続」がつくほうである。