落選小説「薬子」

 『男であることの困難』(1997)を出した時の新聞インタビューでは私はタバコを持っているが、あれは新聞社と私に抗議文をよこした人がいた。60くらいの男性だった。学生が真似したらどうするんだと。

 当時私は大学そばの古書店の店主夫人が美人だったので毎日のように行っていたが、この記事が出たあと、読んでくれたかなと思いつつ行ったらその夫人が出てきて、切り取ってある、来たら読もうと思って、と言ったからぎょっとした。あれはそう明るいことが書いてあるものではないからである。

 そのインタビューに、2001年、強い女と弱い男を描いて小説家デビューなどと将来予想があるが、あれはその当時書いていた藤原薬子の小説で、松本清張賞に短篇として出したが落選した。

桂文楽絶句伝説

 名人と言われた先代桂文楽が、落語の途中に人名を忘れて絶句し、「勉強し直して出直してまいります」と言って高座を降り、そのまま復帰せず死んでしまったことはよく知られている。ところがこの話に際して、「志ん生なら人の名前くらい忘れてもいい加減な名前を言って続けただろう」といつも言われるのだが、私はそれはどうかなあ、と思う。志ん生のフラというのは計算されたもので、本当にいい加減だったわけではないのである。

「源氏物語」のメッセージ

 私は漫画版「風の谷のナウシカ」は単にしっちゃかめっちゃかになった失敗作だと思うが、まあ解読したい人はすればいい。本が売れるのはうらやましいが。

しかし、

dokushojin.com赤坂:例えば『源氏物語』に、隠されたメッセージを読み解こうなんてする人はいませんし、『カラマーゾフの兄弟』にしても同じです。」

 というのはちょっとひっかかった。駒尺喜美に『紫式部のメッセージ』という本があるし。しかし赤坂は裏読みが嫌いだという文脈で言っているからそれはいいのか。

江藤淳と「抜刀隊」

松浦寿輝の『明治の表象空間』に、江藤淳が『南洲残影』で、軍歌「抜刀隊」を、西郷軍側の歌だと勘違いしている、と書いている。しかしこれは事実ではない。単行本8p「警視庁抜刀隊に志願する者も出なかった」とあり、38pでは「薩軍は、兵卒にいたるまで全員が日本刀を持っていた。所謂抜刀隊がこれにほかならない。官軍は、最もこの抜刀隊に悩まされたのである」とあるあたりは完全に間違っている。

 だが「抜刀隊」と題された章では、外山正一が作詞しシャルル・ルルーが作曲した「抜刀隊」の歌詞を掲げ、

 吾は官軍吾が敵は天地入れざる朝敵の

 敵の大将たる者は古今無双の英雄で

 という、まるで西郷を称賛するみたいな歌詞について書かれているので、江藤が勘違いしたと見えなくもないが、「吾は官軍」を誤読するはずはないので、江藤がこの連載をしている際にふと頭脳が勘違いをしたことがあったとしても、勘違いしたまま、ということはない。

小谷野敦

志賀直哉と北條民雄

高山文彦の『火花ー北條民雄の生涯』には、こんなエピソードが書いてある。川端康成が、北條から送ってきた原稿を読んでいると、訪ねて来た志賀直哉が「それは何だい」と訊き、ハンセン病患者のものだと知ると震えあがって逃げて帰ったというのだ。

 だが、この逸話は出典が分からない。それに、志賀は川端より十三歳年長の大先輩で、ふらりと川端を訪ねたりはしない。志賀は、北條の作品が載った雑誌ですら忌避したと言われているが、あるいはこれは高山がそれをもとに作った創作ではないのか、と思う。

小谷野敦

古谷田奈月へ

https://dokushojin.com/article.html?i=5804&p=4

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古谷田 

 そうなんです。生きていけないんです。今回、元号が変わるとなったときに感じたことですが、私の周囲に多くいるリベラルな人たちは基本的に天皇制に反対で、元号が変わるからなんなの、昭和だの平成だのっていう時間の捉え方は意味ないから西暦だけでいいというスタンスでした。その考えは本当によくわかるんだけど、今回この作品を書きながら色々と調べているうちに、そうではない時間の中に生きている人たちも大勢いるんだと実感しました。それはたとえば明治一五〇年とか言いたがる人がいるとかそういうことではなく、皇室という存在を身近に感じて生きている人がいるということ。天皇制は人権問題で元号は無意味、そう割り切れるのはたまたまそういう価値観でいられる環境に生まれたからにすぎない。天皇という存在が必要な人、元号という時間の区切りを大切にしている人というのは実際にいるし、そういう人は自分が特別な思想を持っているなんて思ってない、ごく自然にそうなんです。長く続いてきたものの中にはそこに関わってきた人たちの日常と、それからもちろん心が残っているのに、そういうところに配慮しながら制度批判できているのか疑問です。本当に変化が必要だと思うのなら、自分と異なる環境に生まれ、異なる価値観を持っている人を尊重した言動で議論してほしいし、相手にとって「ある」ものを「ない」と切り捨てるのはやめてほしい。自分が正しいと信じ込んで極端な物言いになるのは、右派にも左派にも共通する問題だと思います。

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 古谷田奈月という人は、そのうち楯の会でも結成するんじゃないかという感じがするのだが、なんでこう圧迫的な物言いをするのであろうか。それなら右翼知識人が、「身分制度だがいいのか」とか「戦後生まれなのになんで天皇好きなのか」とかを説明してくれればいいのである。

小谷野敦