呉智英と私(4)

呉智英は、『週刊ポスト』の連載で、小保方晴子をスパイとして活用したらいいのにという戯文を書いていた。『あの日』が出たあとだったから、読んでないのかなと思い、ハガキを出して「小保方はスケープゴートにされたのです」と書いておいた。

 その後で絶縁したのか、2018年にポストの連載が新書になった時、見たら、小保方についての文章はそのままで、付記がついていて、なお彼女の味方をする者がいる、とあったから、この人はミソジニストだなあ、と思ったことであった。

 九大の教授だった中国文学の日下翠という人がいて、手紙のやりとりをして自著も送ったことがあったが、それが別の人が本を送ってきた封筒の再利用だったから、あれじゃもてないわよ、と日下が言っていたということを呉智英が「マンガ狂につける薬」に書いていたのだが、誰とは書いていなかったから電話をかけて聞き出した。

 呉によると、日下はマンガ学会に出てくるのだが、日下が発言すると皆が脇を向いたりして白けてしまうという。それで呉は日下に「日下さーん」と声をかける、というようなことを言っていて、女にやさしい人なんだなと思っていた。日下はその後死去した。

 だがあとで考えると、あれは小林よしのりも時々やる「保護者的フェミニズム」で、女を弱者として保護しているのである。マッチョ的なのである。だから小保方のようにあくまで自分の立場を言明すると、ミソジニーが発動されるのである。

小谷野敦

自動車は無差別殺傷装置である

zzzxxx1248.hatenablog.com長嶋有の『猛スピードで母は』の書評で、昨今の交通事故死者のことをどう考えているんだ、といったトンデモなことを言っていたので……。じゃあ、自殺をテーマにした小説は? 殺人鬼が出てくる小説は? 人類滅亡小説は? って言いたい)

 自殺したい人はすればいい。殺人鬼が出てくるからといって殺人鬼になる者はいないし、人類滅亡小説を読んで人類を滅亡させられるやつはいない。第一、それら小説で殺人鬼は恐ろしいもの、人類滅亡はあってはならないものとして描かれるのが普通だが、ここでは猛スピードで車を走らせるのがかっこいいこととして描かれている。だが自動車は無差別殺傷装置であり、最低限の必要に応じて交通ルールを守って走らせるべきものだ。「テルマ&ルイーズ」もよくない映画である。

小谷野敦

呉智英さんと私(3)

呉智英さんは漫画評論家でもあるから、呉さんがあげた、勧めた漫画は割と読んだ。しかし、途中で、まったく趣味が合わないことが分かった。私だって呉智英以前に漫画は読んでいたが、私の好きな漫画に呉智英はまったく興味を持っていなかったようである。

 呉さんが好きなのは水木しげる白土三平谷岡ヤスジ楳図かずおであろうか。水木は好きな人も多いが私は「ゲゲゲの女房」は好きだが水木の漫画は全然ダメであった。「劇画ヒトラー」でさえダメであった。白土は「サスケ」は好きだったが、呉の影響で読み始めた「カムイ伝」は、小学館文庫三巻までで挫折した。のち「カムイ外伝」「忍者武芸帳」は読んだが、好きではない。楳図かずおも「わたしは真悟」を我慢して読んだが全然ダメで売ってしまった。

 私が好きだったのは、「のらくろ」「デビルマン」、「サイボーグ009」「キャンディ💛キャンディ」にカゴ直利、吾妻ひでおであろうか。あとは少女漫画もちょっとは好きなのだが呉さんは少女漫画・女性マンガにまったく関心がない。そして「大人漫画」が好きなのだが、これが私には全然ダメであった。夏目房之介と「復活!大人マンガ」という共著を出しているが、少し読んでみて全然ダメ。

 新しいほうでも、「ドラゴンヘッド」とか「宮本から君へ」とか男くさくて汗くさい感じのが多いのだ、呉さんがあげるのは。とにかくフェミニンな趣味というのが全然ない。「赤毛のアン」にとんちんかんなことを言うのも納得する。最後に、小林まこと長谷川伸の戯曲を漫画化したのも愛好していたが、これがまた私には全然ダメだった。「一本刀土俵入」とか、やくざになっちゃダメだろうお前! と思うのである。もう、あわないことあわないこと。あわなすぎて笑ってしまうくらいである。

小谷野敦

呉智英さんと私(2)

 まだあった。私は渡辺京二の『逝きし世の面影』を天下一の愚書として批判しているが、平凡社ライブラリー平川祐弘の解説がついて入ったころ、満天下がこの書を礼讃していて、呉智英も例外ではなかった。これこそ「シラカバ派」だろうにどうボケてしまったのか。私は自分は評価しないということを伝えたはずなのだが、当時連載中の「マンガ狂につける薬」には、「小谷野敦によると、この本はアカデミズムでは評価されていないようだが」と書いてあったからたまげた。私は、自分が評価しない、と言ったのである。これではまるで私は評価しているみたいではないか。

 あと、どの本だったか、日本の女性学者は、西洋人と結婚すると「ソーントン不破直子」みたいに名乗るが、アジア人と結婚しても「李光子」みたいに名のらない、と嫌味で書いたことがあったが、それを送った礼状で呉さんは「同姓不婚だからでせう」と書いてきたのである。どういう意味か、頭をひねったが分からないので、返事を書いて勘違いではないかと指摘した。

著書訂正

近松秋江伝」

p、32「塩谷」→「塩屋」(二か所)

p、80「一件一件」→「一軒一軒」

「<男の恋>の文学史」(旧版)

p、214「一件一件」→「一軒一軒」

「<男の恋>の文学史」(改訂版)

p、275「一件一件」→「一軒一軒」

呉智英さんと私

呉智英さんと絶縁してから五年くらいになる。絶縁といっても、単に新刊が出ても送らないというだけで、新刊を送ると旧仮名遣いで書かれたハガキが来るという程度のつきあいでしかなかった。

若いころは尊敬していたが、だんだん薄れていった。『読書家の新技術』で紹介されている本はほとんど読み、当初は無理していい本だと思いたがったりしていたが、次第にその数は少なくなり、今では『共同幻想論』はもとより「柳田国男集」にいたるまでゼロになった。呉さんは左翼運動へのアンチテーゼで封建主義とか言っていたので、江戸ブームとかが来ると何かちぐはぐになってしまったのである。

 電話で、結婚しない理由を聞いたこともあり、学生運動の世界では、結婚するのは恥ずかしいことだという意識があったという。若いころは美男でもてたらしい。

 産経新聞佐々木譲の「警官の血」で言葉の間違いをあげつらって佐々木の反駁にあったのは2008年1月のことで、ネットを使わない呉の弱点があらわになった。

 さらにあれ? と思ったのは2014年に摘菜収との対談本を出した時で、実際話はかみあっていなかったが、中川淳一郎を弟子扱いしたり、坪内祐三と親しくしたり、ネット使わない族とばかりつきあってどんどんおかしくなっていった。

 私は著書は送っていたのだが、返事のハガキに書いてあることがおかしくなっていき、「宗教に関心がないといけないのか」では、シンガポールへ行く飛行機の中でパニック発作を起こしてお題目を唱えて耐えたというところにゲラゲラ笑った、と書いてあって、それはないだろうと思った。次の本では、若いころ周囲の人間が世間的に有名になるので嫉妬を覚えたと書いたところについて、ハガキに、ゲラゲラ笑ったと書いてあり、ギャグですか? とあった。私は別に笑われても嫌われてもいいのだが、ギャグですか、と言われると困惑する。呉さんとかスガ秀実さんとか、名誉欲を恥ずべきものだと思っているというのは分かるが、私はその感覚を共有していないし、実際のところ嫉妬しました、と言っているだけである。で、以後は著作も送らないことにした、というわけである。

 しかし「週刊ポスト」の「赤毛のアン」に関する珍記事を見るに、晩年の城山三郎みたくボケているんじゃないかと思えるので、ポスト編集部は何とかしたほうがいいんじゃないか。

小谷野敦

有吉佐和子「開幕ベルは華やかに」アマゾンレビュー

2020年11月17日に日本でレビュー済み

二年後に急逝した有吉の遺作というに近いだろう。帝劇という実名で出てくる劇場での、川島芳子を描いた芝居に主演する70代の大女優・八重垣光子、相手役の中村勘十郎。後半から殺人予告電話で推理小説になるのだが、これはごてごてしていてあまり出来は良くない。むしろ前半の、帝劇芝居の舞台裏のドタバタが面白い。モデルとなっているのは初代水谷八重子、16代中村勘三郎水戸光子菊田一夫といったあたり。脚本を書く作家とその元夫は有吉自身と元夫からあちこちとっている。ああ、有吉は長生きして芸術院会員になり文化勲章をもらいたかったんだろうなと一掬の涙が注がれる。