ある美術史家の死

 宮下誠という人を私は知らずにいた。知った時にはもう死んでいた。宮下喜久朗なら知っているのだが。
 1961年生、2009年5月死去、京都へ出張中、ホテルで心不全で死んだという。心不全とは、しばしば自殺の隠蔽のため使われる死因だが、この場合どうだか知らない。
 早稲田出身で、國學院大學の教授だった。ところでこの大学は、「大學」まで本字でないといけないらしい。
 その宮下が、死ぬ半年前に出した『カラヤンがクラシックを殺した』(光文社新書)をアマゾンで見るとはなはだ酷評が多い。カラヤン批判の書だが、クレンペラーとケーゲルとかいう指揮者を礼賛している。ケーゲルというのは知らなかった。たかが指揮者批判くらいで、なんでそんなにヒステリックになるかね。
 しかし、結構変人だったのだろう、と思う。今も残るブログだが、
http://ameblo.jp/kegel/
 スイスのバーゼル大学から博士号を授与されたというが、自ら「哲学博士」を名乗る。
http://www2.kokugakuin.ac.jp/letters/philosop/Lux_Aeterna/entrance.htm
 変な課金サイトではないかと疑われる自己紹介サイト。
 「plofile」「gestbook」とある。英語が苦手だったらしい。
 文章も癖がある。『迷走する音楽』は天下の奇書らしいが、『カラヤン…』のあとがきに、息子の名が「伊能」だとあるが、これは團伊玖磨の父の名。さらにこんなことが書いてある。

 驚きとともに附言しなければならないことがある。今まで私の仕事を蛇蝎のように嫌い、頑な(ママ)までに無視し続けてきた妻、香が今回は校正の筆を執ってくれた。神の悪戯か悪鬼の冗談か、俄には決め難いが、いずれにしても空恐ろしい。ともあれ、労うに限る。お祓いの意味も兼ねて、心からありがとう。