大笹吉雄の『日本現代演劇史』の帯には、井上ひさしの推薦文がついている。それは「信じられないような話ではあるが、わたしたちは国民的な演劇をまだ持っていないのである。働きざかりのサラリーマン諸氏がゴルフ・バッグや麻雀のパイを放り出して駆けつけるような「国劇」は、まだこの国には存在していない。…」
 と続くのだが、つまり劇場で観る演劇というのは有閑マダムかインテリしか行かないというのである。さらに、外国には普通の成人男性が駆け付けるような演劇があるというのである。丸谷才一も小説について似たようなことを言っていて、それが「市民小説」だと言うのだが、では外国、まあこの場合西洋だが、そんなものはあるのか。といえば、やはり疑わしいのであって、西洋でだって、演劇に出かけるのは都市部に住んでいる知識人、ないしは知識的金持ちだろう。だいたい「国民文学」などと言われる吉川英治司馬遼太郎にしたって、まあ数百万人が読んでいるだけで、そんなの日本人の3パーセントくらいでしかないのである。