「源語提要」の著者について

  『源語提要』の著者について−−五井蘭洲と村田春海
                            小谷野敦
 『国書総目録』には、『源語提要』という書物は二項目あり、一方は村田春海、もう一つが五井蘭洲のものである。蘭洲のものは、園田女子大学吉永文庫蔵、春海のものは神宮文庫蔵のいずれも未刊本であるが、蘭洲のそれは、『源氏物語』から文章を抄出して注釈を加えた三巻本で、その巻頭に「源氏ものかたりをよむ凡例」が置かれている。そして春海のものは、内題として「源氏ものがたりをよむ凡例」とされている短いものであり、この両者は異本である。蘭洲のものは、吉永登が蔵しており、はやく一九五四年の『語文』(大阪大学)の田中裕「源語提要・源語詁について」で紹介され、一九五五年の『関西大学文学論集』で吉永みずから「五井蘭州(ママ)源語提要の凡例」という論文で、解説とともに翻刻されている。一九六九年には中村幸彦が「五井蘭洲の文学観」(九州大学『文学研究』)でこれを論じ、七五年、『近世文藝思潮攷』(岩波書店)に収録されている。いっぽう、春海のものを最初に紹介したのは、のちに『『源氏物語』を江戸から読む』(講談社、一九八五)に収められた野口武彦の「くもる源氏にひかる藤原」(初出は『群像』一九八一年八月)で、最近、『批評集成・源氏物語 第二巻 近世後期編』(ゆまに書房、一九九九)に田中康二によって翻刻されている。二○○○年に上梓された田中の『村田春海の研究』(汲古書院)でもこれは春海の著作として扱われている。二○○一年刊行の伊井春樹編『源氏物語注釈書・享受史事典』(東京堂出版)でも、蘭洲を著者として前文が翻刻されているが、「文献」の項では村田春海説を採る文献も載せられており、著者の問題は論じられていない。
 両者が同一のものの異本であることは、エアポケットのごとく誰にも気づかれなかったようである。では、本当の著者はどちらか、といえば、状況を勘案すれば、蘭洲である。田中は、『源氏』本文から「抜書を用意する意図があったと思われる。内題に『源氏ものがたりをよむ凡例』とした所以である」(前掲翻刻解題)としているが、蘭洲のものはその抜書を備えているからである。また田中は執筆時期を寛政三年から六年の間と推定しているが、蘭洲が没したのはそれに遙か先立つ宝暦十二年であり、吉永文庫蔵のものは、田中裕が丸山守純筆本と見ているのに対し、吉永、伊井は自筆本と見ている。しかし、春海著者説を取るならば、春海が後で抜書を作るために書いた、いわば序文を、蘭洲の弟子が書き写してしかもその抜書、注釈も行い、蘭洲著としたという複雑な過程を想定せねばならず、蘭洲著の序文のみを春海が筆写したと考えるほうが自然である。また、本文を比較して異同を調べても、蘭洲著とされるもののほうが原典と見なされる。以下、二つの翻刻
に基づいて校異を示す。(以下略)
       (『明治大学文藝研究』2003年3月)