会田雄次VS平岡梓

細川隆元著となっているが実際は多くの人が書いたらしい『戦後日本をダメにした学者・文化人』(山手書房、1978)を読んでいたら、会田雄次の項で、会田と三島由紀夫の父・平岡梓の論争があったと書いてあったので、杉並図書館にレファレンスを出したら、『諸君!』1972年10月号に会田の「第二の母となった日本の父親」が載っていて、11月号に平岡の反論「大学教授の物の見方・考え方・書き方」が載っているのが分かったので国会図書館から取り寄せた。

 会田は時事ネタのあさま山荘事件で、長男がリンチで殺され、次男と三男が被告人となった加藤益男という人の手記について感想を述べ、ついで『倅・三島由紀夫』で話題になっていた平岡を俎上に載せて、息子を何が何でも東大へ入れて大蔵省へ入れようとした教育ママ的な失意の元官僚と書いた。そして平岡の著書に、三島の妻、つまり平岡瑤子への言及がないことを軽く揶揄した。どうも会田が書きたくて書いたというより、編集部が頼んだ穴埋め原稿のように見える。ないしは編集部の仕掛けた「論争」か。

 平岡のほうは、別に正面切っての反論でもなく、戯文で反駁している感じで、会田のいた京大人文研を揶揄し、東大も最近は無様だとか言っているが、最後のほうで三島の妻の話になると、「たかがあまっちょと思っている女性のことを、男女同権同格の大女性と思っておいでの教授」とか言い出し、「ぼくは生来、小説なんてしちめんどくさいものは大きらいで、倅の作品もほとんど満足に読んだことはない」と言い、「ぼくは本心、人間とはすなわち男性のことを称し、女性とは子を生むための大切な貴重機器として、常に男性にやさしく背負われている付属物というか、あるいは、男性の足の小指相当のものと考えています」などと放言している。三島もさぞかしこの父親を嫌っていたことだろう。

小谷野敦