手塚治虫とサントリー学芸賞

 

 

 

2006年に竹内一郎さいふうめい)が『手塚治虫ーストーリーマンガの起源』でサントリー学芸賞を受賞した時、何人かのマンガ研究者が激しく攻撃した。宮本大人夏目房之介藤本由香里らで、「マンガ学会」の人たちであった。しかし、攻撃は激しいものの、具体的にどこがどういけないのか、奇妙に不明瞭な、そのくせやたらボルテージだけが高い攻撃だった。

 これは要するに「わたしらのショバによそものが入って来た」という理由での騒動で、彼等は前年に出た伊藤剛の『テヅカ・イズ・デッド』をさしおいて何でこの程度のものが、と言いたかっただけである。しかし『テヅカ・イズ・デッド』は、ニューアカ的、ポモ的に読むのが難儀で、サントリー学芸賞はこういう表現を嫌うから、まあとれなかったろうなと思う。

 私はサントリー学芸賞の裏面はわりあい知っているが、まあ非公募の賞というのは裏がたくさんあるもので、ほかにも、なんでこれが受賞?というのはたくさんあって、特に竹内のものが突出して変だったわけではない。

 初期のマンガ学会というのは、学者でない人が中心にいたのと、漫画論というのは素人でもすぐに手を出す雰囲気があったため、地位を確立しようとしてやたら高飛車で、「『新宝島』で手塚が初めてクローズアップを使った」というのは神話だとか、『鳥獣戯画』が漫画の始祖だなどといまだに言う人がいて、とかやたら攻撃的な物言いをしていた。京都精華大学マンガ学部ができて、漫画家が教授になり、竹宮惠子なんか学長にまでなったのも、マンガ学会と連携していた感じはある。だからまあ今回の萩尾望都と竹宮の騒動についても、この人らは何も言えないわけ。

 マンガ学会でまともに普通に研究をしているのは、森田直子のテプフェールとか、もともと研究者で博士号もある人ということになった気がする。