それはNOSAKAだ

 私が阪大に勤め出したのは1994年4月で、その年の秋から、当時帝塚山学院大学講師だった佐伯順子さんは研究員として米国ブルーミントンのインディアナ州立大学へ、スミエ・ジョーンズを受け入れ先として研究員としていくことになった。その間に阪神地震が起きた。

 95年秋に帰国した佐伯さんは、米国では楽しかったと言い、授業で野坂昭如の『エロ事師たち』を英訳で読んでいたらしく、しかし「ノザカ」と濁って言うのである。これは要するに英訳『ポルーノグラファー』に「NOZAKA」と書いてあったからで、それは野坂自身が「俺はNOSAKAだ」で詳細に書いたことで、蓮實重彦の『反=日本語論』を読めば知っていることだったが、佐伯さんはたぶん蓮實重彦とか読んだことがないんじゃないかと思われた。その割に、祖母が能楽師だったりしたせいか、渡辺守章先生にはかわいがられて、クローデルの「内濠十二景」の時も佐伯さんを呼んで何かやっていたような気がする。