「いっせいげこう」の思い出

枡野浩一さんの「みんなふつうでみんなへん」が送られてきた。内田かずひろさんが絵を描いていて、子供たちのちょっとした勘違いをオムニバス形式で描いている。それで私もちょっと思い出したことを書いておく。

 1971年の4月、私は茨城県水海道から、埼玉県越谷市へ転居し、出羽小学校へ通うようになった。学校が違うのではじめの二年ほどは慣れずに大変なこともあったらしい。

最初の年、今度歯の検査がある、と女の担任の先生が言った。別の時、今度「いっせいげこう」があると聞いて、私は「いっせいげこう」が歯の検査のことだと思い込んだ。そしていっせいげこうのある土曜日、午前の授業が終わり、みなが帰り支度をして校庭に集まった。そのころ子供の数が多くて教室が足りず、三年生はプレハブ教室で授業をやっていた。

 私はこれから歯の検査があるんだとまだ思っていたが、校庭に並んだ生徒たちは、はしから帰路につき始め、ようやく私も、違うらしいと気づいた。それが「一斉下校」という、前の学校にはなかったものだと気づくのはちょっとあとのことだった。

小谷野敦