田山花袋の次女

近松秋江は昭和二年三月の『不同調』「文壇総ざらへ」に、田山花袋について、息子の先蔵が父親の若いころのことを実行したわけだねと書いているが、これは長男・先蔵が、大学の教授の吉江孤雁の娘に恋慕して、吉江宅を訪ねて面会を強要し、警察に捕縛された事件が新聞に報道されている。

 しかしほかに、娘のほうの醜聞もあった。これは花袋の弟子の坂本石創「文壇モデル小説 その日の田山花袋」(『人物評論』1933年9月)に実名で書いてあった。長女は早くに嫁入っていたが、次女の千代子は、1908年3月生まれで、1924年に、花袋の弟子のフランス文学者・関口鎮雄と駆け落ちして連れ戻され、会計学者・早大商学部教授になる長谷川安兵衛に嫁入りさせられていたが、1927年の4月28日ころにまた関口と駆け落ちした。関口は日本旅行協会勤務で「旅」という雑誌の編集をしていた。話を聞いた坂本が、前田晁(木城)と一緒に杉並の馬橋の関口宅を訪れると果たして千代はいたが、そこへ花袋が怒り狂って乗り込んできて、

「貴様は、朝鮮人にも劣つた奴だ!」

 とすごいことを言って、千代を連れ戻してしまう。どうやら千代はそのまま長谷川のもとへ帰されたらしい。坂本にはこれを変名で書いた『結婚狂想曲』という小説もあるらしい。

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