音楽には物語がある(17)国民歌手・中島みゆき(3) 中央公論2020年4月

 「大器晩成」という言葉があるが、これは三十代、四十代になっても芽が出ないような人を慰めるための言葉のような気もする。たとえば古今亭志ん朝が真打に昇進した時の落語を聴いたことがあるが、最初から上手いのである。立川談志でも春風亭小朝でも、最初から上手かった。まあ三遊亭圓生などは、はじめは受けなかったと言っていたから晩成型かもしれないし、柳家小三治は最初はあまり上手くなかった。どちらもある、でいいのだが、中島みゆきは、今にして思うと最初から大器だったのだな、と思わせられる歌手である。

 ところが、ほかにもそういう人はいるかもしれないが、幸福な恋愛とそのヴァリエーションを歌う松任谷由実に比べて、不幸な恋愛を歌う中島みゆきは、いつまでもマイナーな人間たちの側にいるはずだと何となく思っていて、今世紀に入ってからの、「国民歌手」への歩みを、裏切られたように感じる、そんな気持ちが私にもある。そして振り返って、ああ、最初からそうなるべき人だったのか、ラジオDJでの明るさというのはあれがむしろ本性だったんだ、とちょっと寂しく思ったりするのである。つまりファンとしては「りりィ」みたいな感じを想定していたわけである。

 中島みゆきがメジャー化した道程はかなり着実で、九〇年代には映画やドラマの主題歌が多くなり、「空と君とのあいだに」や「最後の女神」あたりでパッと一段階上がった感じがする。「空と君とのあいだに」のシングルCDの裏に「ファイト!」が入っているのだが、これは私には複雑な気分を催させる歌で、特に中島が「国民歌手」になってからは一層そうである。ここでは、名もなき弱者が、世間と戦うさまを応援しているのだが、言っていることはいいけれど、歌っているのが社会的成功者だと思うと胸から腹のあたりがムズムズせざるを得ないという意味で、である。

 主題が「失恋」である間は、まあ世間には失恋を売りものにして売れっ子作家になった久米正雄のような人もいるし(といっても東大卒だが)、いいのだが、「戦う君」と「戦わないやつら」と来ると、成功者・中島みゆきが何を言うか、と思えてきてしまう。下町の人情を描いたり、社会の底辺に生きる人をとらえるとされる山田洋次は、東大卒で映画を次々とヒットさせる社会的成功者なのだが、寅さんのファンはそういうことはあまり気にならないらしい。寅さん映画には、米倉斉加年などが演じるインテリも登場して、寅さんと好対照を見せるのだが、それを東大卒の山田洋次が作っているのが私にはおかしいが、一般の観客は気にならないらしい。

 さらに中島が「国民歌手」となっていったのは、二〇〇〇年に放送が始まったNHKのドキュメンタリー「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」のオープニング「地上の星」とエンディング「ヘッドライト・テールライト」を歌い、同番組が話題になったあたりである。人に知られず偉大な仕事をしている人たちを取り上げた番組だが、ここでも、番組に取り上げられた時点で、もうある程度知られたものになっているという逆説がある。

 二〇〇二年の紅白歌合戦に出場し、黒部峡谷からの中継で「地上の星」を歌ったのが、中島みゆきが国民歌手になったメルクマールであったと言えよう。かつてシンガーソングライターなどが紅白への出場を辞退した時、紅白のような権威はいずれ滅びていくのだろうと思われたが、どっこいそうはいかなかった。さらに二〇〇六年には藝術選奨文部科学大臣賞を受賞、〇九年には紫綬褒章を受勲して、「ああ、中島みゆきという人はこういうエライ人になったんだ」と往年のややファンだった私に思わせたのであった。