いやがるんじゃねえッ!

志ん朝の「化物使い」には、変わった部分がある。化物が蒲団を敷くのを嫌がるのだ。ご隠居は、「どうして化物ってえのは蒲団を敷くのを嫌がるのかねえ」とこぼし、「嫌がるんじゃねえッ」とどなりつける。

 ここには何か寓意があるのだろうが、私にはよく分かる。志ん朝からすれば弟子が何かを嫌がったのだろう。なんでそう嫌がるのか、という気持ちが、私には分かるのである。たとえば大学などで教えていて、苦労するのは学生に本を読ませることだ。半年に一冊読ませられたらいいくらいで、それもぎりぎりにならないと読まない。こっちとしては週に一冊くらい読ませたいのだが、それは無理だろう。

 学生じゃない大人相手でも、じゃあこの本を読んでとか言って、素直に読む人はめったにいない。大人になると、人から指示されて本を読むのはプライドが傷つくのか、頑として読まなかったりする。中には、この本の最初のほうだけ読んでくださいと言っただけで怒りだす人もいる。

 逆の場合もそうで、本を書くような人に、まあすでにあちらは険悪な雰囲気になっているのだが、じゃあ自信作を教えてください読みますから、と言うと、勃然として、本は頼んで読んでもらうものじゃありません、と言って教えない。いや頼んでいるのは私のほうなんだが。あるいは、どの本を読めばいいですか、と言うと、とりあえず25冊読んでみたらどうですかと、25冊もないのに言う。

 映画を観るのだってそうで、大学の先生がよく授業で映画を見せているが、あれだって、今どき、入手困難なのは別にして、この映画を観ておきなさいと言えば済むのだってあるのに、そう言っただけでは絶対観ない学生がいるからである。