音楽には物語がある(6)替え歌 

 谷村新司「昴」というのは有名な曲だろうが、私は十数年前まで、これの本当の歌詞を知らなかった。というのは、一九九○年に、春風亭柳昇が「カラオケ病院」という新作落語の中でこれの替え歌を歌ったのだけを知っていたのである。「カラオケ病院」は、はやらない病院で、人気回復のために患者を集めてカラオケ大会をやるのだが、それぞれ病気に応じた替え歌を歌う。風邪は「星影のワルツ」痔が「お久しぶりね」、水虫が「昴」といった具合で、痔のところなどひときわ下品で、初めて聴いた時は、いかにも田舎の老人向けな落語だなあと思ったのだが、何のことはない、柳昇の代表作になってしまい、私も、まあこれはこれで柳昇らしい落語かもな、と見直した。
 その「昴=水虫」は「目を閉じて寝ておれば、水虫がかゆくなり」という歌詞で、私は十数年間、この歌詞しか知らなかった。実際の曲を聴いても、抽象的な歌詞なのでどうも頭に入らず、歌ってみても柳昇版の水虫の歌詞になってしまう。
 私の知っている女性(実は妻)で、父親が嘉門達夫のビデオを見せていたため、古い歌謡曲などは嘉門の替え歌でしか知らない、という人がいる。これなど大掛かりな「水虫・昴」であろう。柳昇の場合、著作権はどうしているのか、と思うが、プロの歌手ではないから見逃されているのか。
 内外を問わず、替え歌というのは数多い。古いものでは救世軍が歌っていた「こははらからを滅びより」があるが、これは「お玉じゃくしは蛙の子」といえば一番通りがいいが、アメリカの民衆歌がもとで、南北戦争の際に北軍の行進曲として作られた「リパブリック讃歌」を経由して、日本では「お玉じゃくし」や「ごんべさんの赤ちゃん」やヨドバシカメラのCMになっている。
 「メガネドラッグ」のCMは、戦時歌謡隣組」の、リズムをとってメロディーを変えたもので、小林亜星の曲という。だがウィキペディアには書いてないが、これが放送され始めた一九八〇年ころには、「隣組」のメロディーだった記憶があり、それからほどなく今のメロディーに変わったと思う。「隣組」を作曲した飯田信夫は当時まだ存命だったから、クレームが来て直したのだろうか。
 古いところでは、大正年間に演歌師の添田知道が歌ってはやらせた「パイのパイ節」または「東京節」があるが、これも南北戦争の時に作られた「ジョージア行進曲」が元で、西洋から日本への替え歌には米国発のものが多いようだ。
 「アルプス一万尺」というのも、米国民謡「ヤンキードゥードゥル」の一部のメロディーからとったものだ。私は中学生の時米国にホームステイして初めて「ヤンキードゥードゥル」を聴き、あれっと思ったことがある。
 子供が替え歌を作るというイメージがある。私も中学一年の時、はやっていた「およげ!たいやきくん」の替え歌を、主役を囚人にして作ったことがあるが、もちろん広まったりはしなかった。小学校と中学校で一緒だった小高という女子生徒がいた。地味だがちょっとかわいい子で、小学生時代には彼女を好きな男子もいた。中学生になって、胸があまり大きくならず、彼女の友達らが、彼女を「ちいだか」とあだ名で呼んでいたが、島倉千代子の「からたち日記」のメロディーで「ちいだか、ちいだか、ちいだーかのむーねーは、ぺっちゃんこ」と合唱したりしていた。
 ブルーコメッツの「ブルー・シャトウ」(一九六七)には、有名な「語尾替え歌」がある。「森とんかつ、泉にんにく」というやつだ。子供がよく歌ってはいたが、果たして子供が作ったのか。「ルンペン」などという語彙から、高校生か大学生が作ったのではないかという気がする。