「空芯手帖」の謎

 今年の太宰治賞を受賞したのは八木詠美の「空芯手帖」である。なおこの授賞式は今回は中止になった。毎年三鷹市長と、津島家を代表して津島園子の挨拶があったのだが、園子氏は先ごろ妹(佑子)に続いて亡くなった。

 「空芯手帖」の筋は以下のとおり。

空芯手帳 | 八木詠美 | 9784480804969|NetGalley

紙管製造会社に勤める柴田は、女性だからという理由で雑用をすべて押し付けられ、

上司からはセクハラ紛いの扱いを受ける34歳。

ある日、はずみで「妊娠した」と嘘を吐いたことをきっかけに、

“にせ妊婦”を演じる生活が始まってしまう。

しかしその設定に則った日常は思いがけず快適で、

空虚な日々はにわかに活気づいていった。

やがてマタニティエアロビに精を出し始めた柴田は、

そこで知り合った妊婦仲間との交流を通して“産む性”の抱える孤独を知ることになる。

表面的な制度や配慮だけは整っていく会社、ワンオペ育児や産後うつに苦しむ女性たち……

現実は「産んでも地獄、産まぬも地獄」だった。

柴田は小さな噓を育てることで自分だけの居場所を守ろうとしていた。

そしてついに、ぶじ妊娠40週めをむかえた柴田の「出産」はいかなる未来を切り開くのか――。」

ーーーーということなのだが、嘘だったはずの子供はちゃんと生まれる、という幻想的な展開で、ある種の幻想小説かと思ったが、別にそれほど面白くはなかった。ところが石原千秋の「文芸時評」では、この小説を抜群に面白いと言い、

「終盤にいたって、柴田は産婦人科で自分のおなかのエコーに胎児が映し出されてるのを見る。選考委員の中にはここをいぶかる人もいるが、柴田は「妊婦」という名の靴を履いて世界を見て、「妊婦」という名の靴を履いた女性として世界から見られ、「妊婦」という名の靴を履いた女性として自分をも見ているのだから、当然ではないか。」

 と書いているのだが、私には理解できない。

小谷野敦