ナウシカ歌舞伎     「かまくら春秋」三月

 

 昨年十二月、新橋演舞場で「風の谷のナウシカ」漫画版を昼夜通しで歌舞伎にし、尾上菊之助主演で上演されたのを、妻と観て来た。私は九月に二センチの大腸ポリープが見つかり、悪性かもと怯えて二か月半ば寝て暮らしていたが、十一月に良性だと判明はした。だが寝て暮らした後遺症と、それ以前からのタバコをやめた禁断症状で体調が悪かった。とにかく十月の発売日にたちまち売り切れたのを、別の販売サイトでかき集めるようにして購入したが、これは妻のほうが熱心だったからで、妻が書庫から持ってきた「ナウシカ」漫画版全七冊を私も改めて読んで予習していた。

 ところが開演して数日後、昼の部の最後あたりで菊之助が転落して怪我をし、翌日からは左手の骨折を押して出場はしたが宙乗りなどはなくなっており、私たちが行った十二日夜の部はそういう演出だった。私は久しぶりの本格的外出でかなり疲れたが、この劇化は、ナウシカのファンと歌舞伎のファンの双方にとって複雑なもので、私などは両方好きだからつらいものがあった。歌舞伎は高校生で見始めて四十年になり、最近はほとんど行かなくなっていたが、ナウシカとなると、歌舞伎はこれが初めてといった客も多いらしく、そのことがストレスになる。私の隣に女性二人連れで和服の人が来ていたが、イヤホンガイドを使っていて、上演中も微動だにせず、両手を重ねて膝の上に置いている。私はADHDだからもぞもぞと落ち着かず、むしろ隣の人の落ち着きぶりに恐怖さえ感じた。ナウシカといえど私は歌舞伎を観る時は声をかけるのが普通なのだが、一階の席しかとれず、声かけは三階でないとできないので、余計居心地が悪かった。向こうのほうに切通理作がいたが、嫌われているらしいので話したりはしなかった。

 映画「風の谷のナウシカ」は大学三年になる春に有楽町の映画館で観て滂沱たる涙を流し、間に上映されたホームズのあと、もういっぺん観てしまい、その後もテレビ放送やDVDで何度も観ているが、原作漫画のほうは一通り読んだだけだった。今回、作者の宮崎駿がまったく表に出ず、歌舞伎も観ていないんじゃないかと思われるくらいで、代わりに鈴木敏夫ジブリを代表して菊之助らと折衝したらしい。漫画版「ナウシカ」については赤坂憲雄が論考を出し、歌舞伎でもイヤホンガイドで赤坂の解説が入ったらしい。旧知のスーザン・ネイピアも著作で漫画版を論じていたが、やはりぐだぐだの失敗作として終わったと思うし、全編をそのまま歌舞伎化したのには賛成できない。それでも九時近くの最後の場面では観客の中には立ち上がって拍手を送る者もあった。

 私は煙草をやめて以来、九時に寝るようになってしまい、その時はかなり疲れていたのだが、外へ出て夕飯を食べるため妻とさまよい始めた。新橋演舞場の周辺は、料亭が多く、軽く夕飯をとれるところがないため、ふらふらと歌舞伎座のほうまで行って、若いころ歌舞伎座で夜の部を観たあと私がよく行っていたラーメン店へ入った。ところが以前より雰囲気が悪くなっており、私と妻が座ったすぐ後ろに三人の若いサラリーマンの男が座って、全員で煙草を喫いながら女のうわさ話など始め、煙草の煙がもろに妻のほうへ来たため、妻は食べるのを諦めて店を出てしまい、気の毒なことをした。

 昼の部は二十五日で、宙乗りも復活していた。今度は途中でサンドウィッチを買っていった。もっとも私は、映画版に当る部分まででいいと感じてしまった。妻もさすがに夜の部は疲れたらしかったが、私はやっぱり「ナウシカ」は映画のほうがいい、という当然のことを思っただけだった。

 その後、菊之助の怪我や息子の丑之助のことまで触れた民放のドキュメンタリーと、初日までを追ったNHKのそれを観たが、後者は新聞のテレビ欄に「菊之助VS宮崎駿」とあったのに宮崎は出なかった。これはもう宮崎自身が、漫画版全体を失敗ととらえているということだろうし、それで正しい。とはいえ、歌舞伎および自分自身のために挑戦した菊之助の意欲には、いくらか感心した。歌舞伎から心が離れてもう十年以上になるが、それでも一昨年、人からもらったチケットで国立劇場へ行き、吉右衛門石川五右衛門を観た時は心が浮き立ったし、NHKで放送される新春歌舞伎を観てもそうだから、まだ歌舞伎そのものへの好きさというのは残っている。しかし「大江戸りびんぐでっど」とか「ワンピース」で若い観客をとらえようという試みにはなじめないでいる。

 長谷部浩の『菊之助の礼儀』(二〇一四)という本には、二〇〇三年に長谷部が舞台を観て、歌舞伎はこのままでは滅びてしまうと危機感を抱き、旧知の菊之助を呼び出して話したが、それから十年ほどして菊之助が、あの時は長谷部さんを頭のおかしな人だと思った、という不思議なことが書かれている。それでこの話は終わっているので、歌舞伎がどうなるということなのか分からない。菊之助も、何とかしなければと思うようになったということか。ただおそらくその試みは成功したとは言えないだろう。だが私は今無性に、本来の歌舞伎を観て三階席から久しぶりに声をかけたいと思っている。