凍雲篩雪

 昔、十八世紀英国の劇作家オリヴァー・ゴールドスミスの『低く出て勝つ』(She Stoops to Conquer)というのを英文科の中野里先生の授業で読んだが(『負けるが勝ち』の題で竹之内明子訳が出ている)、その後ゴールドスミスの小説『ウェイクフィールドの牧師』を神吉三郎訳の岩波文庫で読んで、なんだ水戸黄門じゃないかと思った。田舎牧師の一家が火事に遭ったり娘が誘拐されたり、悪者に苦しめられていて、近所にいる普通の人間だと思っていた人が実は土地の領主の公爵で、最後に牧師一族を救ってくれる話で、夏目漱石も激賞していた。ただまあ筋は通俗である。
 しかし最近考えてみて、もしかしたら「水戸黄門」は『ウェイクフィールドの牧師』の影響で成立したんじゃないかと思った。徳川光圀が諸国を漫遊したという伝説は徳川時代からあったが、助さん格さんを連れて商人の老人などに化け、最後に正体を現すというのは、明治以降の講談で確立したものである。金文京の『水戸黄門「漫遊」考』(講談社学術文庫)では、『春香伝』で知られる暗行御使など、変装した人物の物語が東アジア一帯にあるとしているし、『アラビアン・ナイト』では、皇帝ハールーン・アル=ラシッドが二人の従者を連れて微行するものだが、どうも『ウェイクフィールドの牧師』ほどに「水戸黄門」的ではないと思う。明治初年に輸入されて講談に影響したのではあるまいか。もちろん確たる証拠はないのだが。