ブラジル19世紀の作家マシャード・デ・アシスは、どこでだか知らないが「ブラジルの夏目漱石」と言われているという。二つの長篇に日本語訳が二つずつある。刊行順に並べると、
『ドン・カズムーロ』デ・アシス 著 ; 伊藤奈希砂, 伊藤緑訳 彩流社 2002.2.
『ブラス・クーバスの死後の回想』デ・アシス 著 ; 伊藤奈希砂, 伊藤緑訳 国際語学社 2008.12
『ブラス・クーバスの死後の回想』ジ・アシス 著 ; 武田千香訳 2012.5 光文社古典新訳文庫
『ドン・カズムッホ』ジ・アシス 著 ; 武田千香訳 2014.2 光文社古典新訳文庫
となる。『ドン・カズムーロ』と『ドン・カズムッホ』は同じものだ。伊藤奈希砂は京都外国語大卒、在野の翻訳家で、伊藤緑は妹でもあろうか。武田千香は東京外大教授である。
普通、あとから出た翻訳は、既訳をあげて「参考にさせてもらった」などと書くものだが、いずれも後塵を拝した武田訳は、伊藤訳をガン無視している。
それについて、武田訳『ブラス・クーバスの死後の回想』のアマゾンレビューに厳しいことを書いた人がいる。変名だが、ポルトガル語も参照したというからその筋の人だろう。
http://www.amazon.co.jp/review/R28P5X15BZUYC8/ref=cm_cr_dp_title?ie=UTF8&ASIN=4334752497&channel=detail-glance&nodeID=465392&store=books
「「ところで学生時代、文学の翻訳家を目指していた私は、翻訳すべき作品はどのような基準で選んだらいいかと恩師に質問したことがある。師からは、きわめてまっとうな答えが返ってきた。すでに日本語で読める繰り返しとなる本は訳す価値がない。これはまだ日本にないと思ったものこそ訳すようにと。
(中略)
だが、『ブラス・クーバスの死後の回想』は、間違いなく、その基準をクリアする。
(中略)
マシャードの文学を、おそらくは初めて日本の出版界で本格的に「発見」してくださった川端博氏…」
武田千香訳『ブラス・クーバスの死後の回想』、株式会社光文社刊
訳者あとがき、p569 ~ p571より
武田千香訳『ブラス・クーバスの死後の回想』の初版第1刷発行は、2012年5月20日である。これに対して、先行して発刊された、株式会社国際語学社版、伊藤奈希砂・伊藤緑訳『ブラス・クーバスの死後の回想』の初版発行は、2008年12月26日である。およそ3年半前の出来事である。
さらに言えば、国際語学社版の伊藤奈希砂氏・伊藤緑氏の解説には、
主たる参考・引用文献として、
武田千香著「近代国家ブラジルに捧げられた反・建国神話ー『エサウとヤコブ』の寓意性についての一考察」、東京外国語大学論集、第70号、2005年
同著「対蹠地の同時代作家の親和性ー比較文学の新たな視座を探るー」、東京外国語大学論集、第74号、2007年
『マシャード短編選』マシャード・デ・アシス(高橋都彦訳注)、大学書林、1982年
『学校物語・他4編』マシャード・デ・アシス(古野菊生訳注)、大学書林、1985年
拙稿(伊藤奈希砂氏・伊藤緑氏)「マシャード文学を読み解くー解説に変えて」 In: 『ドン・カズムーロ』 マシャード・デ・アシス(伊藤奈希砂・伊藤緑訳)、彩流社、2002年
などがあげられている。
一方、武田千香訳光文社版では、先行する訳業については一切触れられてはいない。」
さて、武田のために言っておくと、武田はこちらについては、15年かけて訳したと書いており、実際にそんなにかかったわけではないだろうが、1997年ころから始めていた、あるいは完成していたが版元が見つからなかった、というところか。そこへ伊藤訳が出て悲嘆にくれていると、亀山郁夫が光文社に紹介してくれた、というところか。大人なら、そこで正直に、伊藤訳が出てしまった、悔しかったが・・・などと書くところ、ガン無視してしまった。
続いて『ドン・カズムッホ』となると、もうこちらは12年も前に出ている。一人殺すも二人殺すも同じことだ、とばかりに、また無視を決め込んだのだろう。