ツイッター上で、小菅信子と珍妙なことがあったので、誤解などがないように書いておく。
 小菅信子中尾知代に批判されており、私は「仲間割れ」でもあったのか、と書いた。これは中尾著が出た2008年にも『中央公論』の書評で書いている。

 同い年の二人の女性学者が火花を散らしている。二年前に出た小菅信子の『戦後和解』(中公新書)は石橋湛山賞を受賞したが、今年出た中尾知代の『日本人はなぜ謝りつづけるのか−日英<戦後和解>の失敗に学ぶ』(生活人新書、NHK出版)は、同じ主題を扱った著作ながら、くり返し小菅を批判している。いったい何が起こったのか。一九九五年八月、英国では「VJデー」というものが大きな話題になった。第二次大戦終結五十周年で、英国人たちが盛り上がり、中には日本への激しい憎悪を示す者たちもいたのである。中でも、戦時下ビルマで日本軍の捕虜となり、虐待を加えられたという元兵士たちの憎悪は激しかった。小菅は歴史学、中尾は英文学専攻で、その前後英国にあって、英国と日本の「謝罪と和解」のプログラムに大きくかかわることになった。それから十三年、小菅は、首相談話や天皇の訪英で「和解」は成功したと論じ、今年はそこに至る過程を私記録風に綴った『ポピーと桜』(岩波書店)を上梓している。
 だが中尾は、和解は「失敗」だと断じる。だが、普通の日本人なら、こんな話には違和感を感じるだろう。英国は帝国主義を始めた本家本元である。いったいなぜ日本人が謝罪しなければならないのか、と。米国はいまだに民間人への空襲や原爆投下を正当化しているし、ソ連は日本人を長く抑留し、ロシヤは領土返還に応じない。また、ルディ・カウスブルックの『西欧の植民地喪失と日本』(草思社)を読むと、オランダ人が、日本のせいでインドネシアの植民地を失ったことを恨み、黄色人種のくせに白人に立ち向かった生意気な民族と見ていることが分かる。小菅は、その「和解」を、正義ではなく妥協を求めたと書いている。最近にぎやかなパール判決論争もそうだが、「勝者の裁き」が正義であるはずはないのだ。しかし、戦勝国も裁かれる日が来ることは、期待しにくいだろう。ただ虚しいばかりの論争である。             

今もこの意見に代わりはない。さて『ポピーと桜』には、小菅の仲間として松居竜五が登場する。そして松居はその後、中尾知代と結婚している(今はしていない)。とすれば「仲間割れ」だと思うのが普通である。なお上記のことは、松居には直接言っている。松居は「私も中尾さんも、英国がいいとは思っていません」と言っていた。中尾ともその後ツイッターで議論した(ただしこちらは九条護憲論について)。
 なんで今回変なことになったかといえば、ツイッターに「荏原仲信」という団塊の世代だとかいう匿名の人がいて、『反米という病』から「小菅(信子)は『戦後和解 ー 日本は〈過去〉から解き放たれるのか』(中公新書、2005)のような本を出したが、仲間割れか、中尾(知代)は小菅を「和解になっていない」と批判している。(中尾『日本人はなぜ謝りつづけるのか』)」というところを引用し、それを見つけた小菅がとんちんかんなことを言い出したからである。たとえば、「小菅 信子 ‏@nobuko_kosuge 3月28日 「仲間割れ」とは違うというのが、私の認識。そもそも中尾という人を私は全然知りませんでしたし。「岩波書店から連絡先を聞いた」と、いきなり深夜電話。「ダワーの本の目次を今すぐコピーして送れ。いますぐ。明日、奨学金の面接があるから」と。」
 まるで意味が分からない。何か言いたいことがあるならブログででもちゃんと説明すべきだろう。だいたいそういう意味での「全然知りませんでした」なら、家族でない限り最初は誰だって「全然知らない」はずである。
 私は別に小菅が中尾に反論する必要があるとは思っていない。単に、小菅、松居、中尾の間で何がどうなったのか説明してくれたらよい、と思うのみである。