真実と悪

 車谷長吉の遺稿集『蠱息山房から』(新書館)を読んでいたら、車谷はさかんに、自分はほんものの作家であるから人間の偽、悪、醜を描く。そしてモデルとなった他人から嫌がられる、だから作家は「悪人」なのであり、たいていの人はそういう本物の作家になれないから、新聞などで広告しているのは「作家まがい」だとしている。
 しかし、人間の偽、悪、醜を描くのが、事実を描いているならそれは「善」であって、嘘を書くのなら悪人だが、事実を書くなら悪人ではないではないか。悪人が悪事を暴かれて嫌がっても仕方がなく、悪人でなくても事実を描かれて嫌がるならそれは部分的にはその人が嘘つきなのだし、部分的には善の副作用である。したがって「作家は悪人」は成り立たないと思う。むしろ「作家まがい」のほうが、きれいごとの嘘を書く悪人なのである。島田雅彦とか小川洋子のように。