たり〜たりの神話

 学校文法でもNHKでも、「昇ったり降りたり」のように、「たり」は繰り返さなければいけないとされ、「友達と遊んだり買い食いをして」とするのは間違いだとされている。しかし円地文子の「二世の縁 拾遺」には、「女の家の猫の額ほどの畠を定助がせっせと耕したり鍋釜を裏の流れで洗っているのを見るようになった」とある。
 上田万年の娘で藝術院会員で文化勲章で『源氏物語』を現代語訳した円地文子が間違うであろうか。私はこの「たり〜たり」は、かつての「全然」は打ち消しをともなう、と同じような神話なのではないかと思うのである。そのことを調べるためには近代日本の文章をよく調べないといけないのであるが。

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小野小町の「花の色は移りにけりな」の歌についてこの人は「心変わり」ではないかと考えているのだが、田中喜美春の『小町時雨』(1984)ではこれが小野貞樹の心変わりではないかと解釈されている。そもそも古今集の当時、自身の容色の衰えを詠む歌があったかどうか、ということも関係してくるが、これは『玉造小町子盛衰書』に影響された読み方でもあるのだろう。