尾崎一雄の随筆集『ペンの散歩』には、志賀直哉の「大津順吉」を、若い頃私小説と知らずに読んで、それでも感銘を受けた話のあと、こういう文章が続く。

私小説」(ならびに所謂「心境小説」をも)まるでインドのアンタッチャブル階級視する世の批評家諸氏、その批評家に追随してなのかどうか知らないが、「私小説家」と言はれることを、終身刑でも宣告されるかのやうに懼れをののく作家諸氏に、改めて「私小説とは何か」を教えて貰ひたいものである。

 これは1977年『海』連載だが、その当時からすでにそんな状態だったのかといえば、尾崎の被害妄想もあるだろう。しかし最近ではこれに近い状態である、といえば過言であるか。