正かな正漢字で書かないわけ

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 「本の山」の土屋君が私の恥ずかしかった話を書いてくれているから、サービスしてもう一つ恥ずかしかった話。
 私が進学した大学院は「右翼」教授が牛耳っており、中に小堀桂一郎先生がいた。小堀さんは正かな・正漢字を使えと言う人で(なおこれを旧かな旧漢字と呼ぶのは間違いである)、私はこれに媚びようとして、比較文学では入試の時に20枚ほどの小論文を提出するのだが、それを正かな正漢字で書いて出した。それだけでも恥ずかしいのだが、レポート類でもこれをやって、阿部良雄先生にもそういうレポートを出した。
 しかも私はその頃西部さんに心酔していて、西部さんと一緒に朝日新聞で書評委員をしていた中沢新一のひらがなだらけの文章をかっこいいと思っていたから(もうめちゃくちゃ恥ずかしい)、そういう文体で書いて出した。すると阿部先生は「新かなづかいで構いませんから云々」と書いて返却してきた。当時出たばかりの、クリスティーヌ・ビュシ=グリュックスマンの『バロック的理性と女性原理―ボードレールからベンヤミンへ』を読んで、阿部先生はもちろんボドレールの専門家であるから、引用したりして、もうこれもめちゃくちゃ恥ずかしい。でレポートには「仮説ですので」云々と書かれて返ってきた。
 もうそれで、正漢字正かなを使うのはやめにしたのである。実をいえば、正漢字正かなが正しいのである。私が正かな遣いで書かないのは、こういう恥ずかしい若気の至りの過去を経過して、なのであった。
小谷野敦