粕谷一希の『生きる言葉』(藤原書店)を見たら、粕谷も松岡正剛と同じで、川端の『雪国』の成立過程を知らず、冒頭の「国境の長いトンネルを抜けると・・・」が最初に書かれたと思っているので、嫌になってしまった。 
 なんかそのことは、粕谷と松岡が「編集者」であることと関係している気がする。たくさん本は読むけれど、それを自身の好みで深く掘り下げるということをせず、次から次へと別の本に移って、感想だけと言うというスタイルが骨がらみになっているのではないか。 
 この本で粕谷は、大江健三郎石原慎太郎は、会社務めの経験を持たず学生から作家になったので、無残な姿を見せていると書いている。政治的に中立なつもりか知れんが、かつて粕谷は『戦後思潮  知識人たちの肖像』(1981)で大江を評価していて、へえちゃんと政治的かたよりを見せないんだと思っていたが、その後いつ無残な姿になったのだろうか。石原にしても、『わが人生の時の時』とかちゃんと読んでいるのか。粕谷は文学を嘗めているのではないか。