いやな感じ

 加藤直樹の『九月、東京の路上で』という、関東大震災の時の朝鮮人虐殺の本が話題であるらしい。私は「そういえば、あれは」と思ったのだが、工藤美代子の『関東大震災 「朝鮮人虐殺」の真実』(扶桑社、2009)である。まあいわゆる「右翼本」で、朝鮮人虐殺は、実際に日本転覆を狙った朝鮮人がいたので自警団員は正当防衛で作られたのだとする本である。これには、山田昭次が『世界』2010年10月号で批判を書いている。それにしても遅い。そして今見たら、工藤の本は品切れになって高値がついている。まずいというので絶版にしたのか。それも嫌な話で、工藤も反論して徹底的にやればいいのである。
 私は工藤著刊行当時、立ち読みして、非常に嫌な感じがした。そして、あちこちから批判が起き、論争になるかと思っていたら、ならなかった。工藤美代子は、だいぶ前からロイヤリストのウルトラナショナリストになりつつあったのだが、世間はなぜか放置していた。それが嫌な感じである。
 さて今回改めて工藤著をちゃんと読んでみようと思ったのだが、これが想像以上にずさんな本であった。芥川龍之介の文章の誤読については加藤も批判しているが、これは関口安義『芥川龍之介とその時代』という、芥川を研究するならまず目を通すべき著作で、きちんと説明されているのである。それ以前にも、芥川が本気で朝鮮人の暴動を信じていると誤読した人(進藤純孝など)はいて、関口はそれにしっかり反論している。関口という人は、芥川を無理やり左翼に仕立てようとする傾向があり、一高で徳冨蘆花が講演「謀叛論」をやった時、芥川が出席した証拠はないのに、出席した、と言い張ったりするのだが、この震災の時の文章は関口の読解で正しい。そして工藤はそれも見ていない。
 工藤はさらに、与謝野晶子日露戦争の時に「君死にたまうことなかれ」を書いたことをあげ、晶子を反戦歌人のように言う人がいるが、その後はちゃんと愛国的な短歌も詠んでいるという。そして驚くべきことに、晶子を変えたのは与謝野鉄幹との出会いである、と言う。「君死にたまうことなかれ」が、鉄幹と出会う前の詩だと思っているのか。「君死にたまうことなかれ」は、工藤が想像するように世間の非難を浴びたわけではない。大町桂月が「乱臣賊子」と批判したのであり、鉄幹は桂月を訪ねて議論している。し・か・も、大逆事件が起きた時、旧知の大石誠之助のために、平出修に弁護を頼んでいる。
 あと工藤著114pに、朝鮮人によって鼻を削がれた女、という当時の新聞記事を引いて「『鼻をそぐ』というような残酷な行為は日本にはなかった蛮風であるという事例は前にも述べた」とある。「事例は前にも述べた」という文が意味不明なのだが、工藤は秀吉の朝鮮出兵の時に朝鮮・明の人間の鼻と耳を日本軍が削いで持ち帰り、耳塚または鼻塚というのが出来ているのを知らんのか。
 工藤は芥川の友人の久米正雄が「舞子」という小説で、若い朝鮮人の一団に遭遇して、彼らに対して申し訳ない気持ちを持っていたと書いていることも知らないのだろう。『編年体大正文学全集 23巻』に入っている。
 工藤は吉村昭の『関東大震災』も何度か批判しているのだが、吉村の、日本人の朝鮮人に対する後ろめたさが流言蜚語を生んだのだろう、というのを、奇怪な論法である、と言う。
 奇怪ということはなく、吉村は少し省略していて、日本が朝鮮を併合したことに、少数の知識人は罪悪感を抱き、多数の民衆は、朝鮮人は日本人を恨んでいるのだろうと思っていて、だから流言蜚語が生まれた、ということで、これなら全然奇怪ではない。ところが工藤の頭には、後段がまったく思いつかないらしく、朝鮮人の暴動があったから流言蜚語(でない)が生まれた、となるのである。どうやら工藤には、日本が朝鮮を併合したのはいいことであり、恨みなど抱かないのが健全な朝鮮人だという頭があるらしい。
 日本が朝鮮を併合して近代化に貢献したというのは事実であろう。だが、アメリカで先住民を虐殺したりしたのを除けば、たいてい植民地支配は「いいこともしている」のである。英国はインドなどを近代化したし、米国など日本を民主化したではないか。