毎週木曜日は、『週刊文春』で書評欄と、宮崎哲弥の「時々砲弾」を読む。今週は新垣隆の手記が載っていたが、新垣は、作曲をやめると言ったら、帰宅すると包丁を持った佐村河内が待っているのではないかと怯えていたそうである。そうか強要されたというのはそういうことか。まあだからといって免責はされないわな。なお、「一方的に発表したことで批判されている」とあったが、まさか、佐村の了解を得てから発表すべきだったとか言っているバカがいるのか?
さて宮崎哲弥である。いつもうなずかせられることが多いのだが、今回は疑問だった。長谷川三千子の発言に対する朝日新聞などの批判を批判している。宮崎は長谷川の思想には同調しないとしつつ、何がいけないのかと書いている。そして、筑紫哲也が野村秋介と家族ぐるみでつきあいをしていたことをあげて、では朝日は筑紫哲也も批判するのかと書いている。
これはおかしいだろう。今回は、長谷川がNHK経営委員ということで問題になったものである。経営委員は放送法によって規定され、不偏不党を原則としているから問題になったのであり、筑紫は一介の私人に過ぎない。また筑紫は野村と親しくしていたにしても、朝日新聞社で自殺したことを称賛したわけではない。さらに、天皇を神だとした長谷川の発言が、憲法違反ではないかとも言われている。経営委員は公務員ではないが、長谷川はかつて埼玉大学教授であってれっきとした公務員だったし、法人化した現在でも、国立大学教授は公務員に準ずる責任を問われる場合もある。長谷川と筑紫では全然問題が違うのではないか。もとより、天皇を神だと言ってはいけないということが、憲法から導かれるかどうか、これは分からないが、それなら宮崎は、堂々と「天皇論」を行わなければならない。今回は、なにゆえかそれを避け、顧みて筑紫哲也を言った、という気がしてならない。いつも、憲法に違反できるのは天皇と公務員だけだと言っている宮崎が、何ゆえ長谷川と筑紫の立場の違いを無視したりしたのか、理解できない。
次回は、宮崎の天皇論を期待したい。