山口百恵の「伊豆の踊子」が思っていた以上にいい出来だった。当時は、踊子が全裸で飛び出してきて手を振る場面が話題になり、山口が肉色のぴったり服を着て出ていたとされた。その後、「祭りの準備」では胸まで見せていた竹下景子が、ドラマ「天の花と実」で風呂場での濡れ場をやることになり、ヌードを拒否して、やはりこの肌色の服を使ったことがあった。無名時代は脱いでいても、有名になると脱がなくなるということは、多岐川裕美にもあって、78年に「飢餓海峡」がドラマ化された時、多岐川がヌードを拒否して降り、代わりに新人の藤真利子が演じたのであった。
ところで山口百恵は当時15歳だから、脱いでいたら今は「児童ポルノ」になってしまうわけだが、では今、18歳未満の女優が肉色服を使ったらどうなるのだろう。それともそういう例がもうあるのだろうか。
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『日本人のための世界史入門』はアマゾンレビューでは散々だが、これは私の、日本には潜在的キリスト教徒が多いという仮説を裏書きするものだ。大澤真幸・橋爪大三郎の『ふしぎなキリスト教』も、反論本すら出ているが、いずれにせよ細かな間違い、つまりキリスト教徒以外にはどうでもいいことばかりである。私のも、かなりキリスト教を悪く書いている。もっとも私のほうは、罵倒するばかりで、何が気に入らないのか書かないやつが多い。
金益見の『性愛空間の文化史』のアマゾンレビューを見ると、井上章一の研究に依拠しているとあるが、先行研究を批判するところに学問のオリジナリティがあるのだろう、などと書いてある。ところが私のほうは、先行研究者の悪口ばかり、などという批判があっておかしい。批判が間違っているなら具体的に書けばいいのであって、ただ先行研究を批判しているからいかんというのはめちゃくちゃである。
日本に潜在的キリスト教徒が多いというのは、島田裕巳の『神と空』に示唆されたもので、現状はますますそれを裏書きするものとなっている。ドストエフスキー人気などもその一環である。
私の本は、『もてない男』を超えて売れているのだが、そうなると不断私の本を読まない層も読むから、私を右翼だと思う人がいたりしておもしろい。戦後日本のところを見れば、「保守派知識人は、天皇崇拝家であるため、こちらも歪みがある」(247p)とあり、「右翼」はこんなことは書かない。