犬丸治の精神の退廃

http://theater-angel2.blog.so-net.ne.jp/2011-06-21
間違いは間違いとして私は逐一訂正しているが、匿名で他人を批判するというのは卑しいことであり、どうせどこぞの素人だろうと思っていたから、犬丸治というれっきとした歌舞伎学会会員で著書もあるやつだと知って軽く驚いた。重く驚かないのは、そんなやつがこの世にいくらもいることを知っているからである。
 六代目を十五代目と間違えるのは間違いだが、「間違いだらけ」と言いつつほかに(特に私が訂正済みのもののほか)何が間違いか指摘もせず、しかも匿名でそういうことをするというのは、精神の退廃である。
 「朝日や文春がお墨つきを与える」という言い方にも、この男(男だろうな)の商業主義的権威主義がありありと見てとれる。岩波から出ようがみすずから出ようが、ダメなものはダメであり、自費出版だろうが弱小出版社から出ようが、いいものはいいのである。ならこの犬丸なる者、『忠臣蔵とは何か』とか『水底の歌』の著者が文化勲章を貰ったことを痛嘆しなければならんところである。
 こういう連中は二言目には「愛がない」などと言うのだが、「愛」というのは、分け隔てしない博愛のことである。まあそれは措くとして、こういうやつらが言う「愛」というのは、歌舞伎にせよ落語にせよ、幕内とかと結びついて、ダメな藝でもようござんしたと褒めること、のことを言うのである。下手な役者を下手だと言うと愛がない、つまらん狂言をつまらんと言うと愛がない、つまり「不正直の勧め」であって、人形浄瑠璃を「痴呆の藝術」と呼んだ谷崎先生風に言うならば、白痴だけれど因果とかわいいわが子であるから、白痴だの痴呆だのと言わずにいいいいと言って褒めて育てなさい、そうでないことを言うやつは愛がない、素人だ、幕内を知らない、ということになる。伝統藝能評論界とか、国文学界あたりにも蔓延する、素人は黙ってろ式の閉鎖性、業界内約束ごと性にがんじがらめになっているのである。
 犬丸は帝国ホテル社長だった犬丸徹三の孫だそうだ。徹三には一郎と二郎の息子がいたが、どっちの子かは知らない。そして、家系で人を判断するなと言う。だが、十歳から歌舞伎を見ていたなどと威張るのは、そりゃ東京育ちで金持ちの家に生まれたからだろう。それは判断しますよ。