集英社インターナショナル

 土曜日に三度目の返事が来たが、どうせいずれは
「言えないこと…」
 に突き当たるのであろう。
 こちらのさらなる質問状である。


 六月三十日配達の返答を受け取りました。
 貴社は、佐藤真の復命により私と佐藤との意思疎通が不可と見たと言われますが、私から見るならば、佐藤は当初より喧嘩腰で、企画を成立させるつもりはなかった。よって、佐藤はどのように復命し、貴社はそれをどう判断し、どのような「へだたり」があると考えたのか、依然として回答は得られていないので再度回答を願う。
 「地政学」についての貴社の説明中に「「企画内容の検討」の話し合いの中で」とあるが、それは誰といつ行うつもりであったのか。私が福田佳代子がメール添付で送付してきた目次について、全然違うではないかと言った際、福田は遂にその理由が言えず、鬼木の当時のメールによると「誰にも相談せずもんもんと悩み」、ついに鬼木と田中伊織に相談したというが、佐藤から圧力をかけられたのでなければ、何ゆえ「もんもんと悩む」のか。また会いに来た佐藤は執拗に私に地政学がなぜ入るのか尋ね、私が説明しているにもかかわらず話をそらし続けたのである。
 したがって私の側から客観的に見るならば、可能性は二つしかなく、
1、佐藤がもとから私個人に対して何らかの反感を抱き、私の著作を出したくなかった。
2、佐藤がイデオロギー的に地政学を入れたくなかった。
しか考えられない。だが貴社は「2」を繰り返し否定している。すると「1」ということになり、地政学に執拗にこだわったのは、単なる口実ということになる。
 福田佳代子が私の問いに答えられなかった際、鬼木は、本人および田中伊織、福田の三人でまた会いに来ると電話で言ったが、私は佐藤と鬼木とが話し合ってくれないと困る、という意味のことを言った。しかしそれ以後鬼木からは連絡はなく、ただ佐藤が、福田を外して自分が担当するという電話をよこし、会った結果が、佐藤にははなから私の著作を出すつもりがなかったという経緯である。何ゆえ鬼木は、佐藤について私に一言も言わず、三人で会いに来ようとしたのか、また何を言うつもりだったのか。
 客観的に見るならば、佐藤の意図を察知した福田が困惑し、鬼木もそれを知り、あの際三人で私に詫びに来るつもりだったとしか考えられないのである。なお私が主宰する猫猫塾のウェブサイトには、「世間学」をやった際のプログラムが掲載されており、そこにも「地政学」はあるが、私は佐藤と初めて電話で話した際、これを教えた。佐藤はそれまで知らなかったことになる。
 従って、鬼木、福田が、佐藤の意向について私に伝えなかったことが問題となるが、佐藤は何ゆえ私を忌避したのか、また何ゆえ佐藤が忌避しているのに会議を通ったのか、ないしは会議で佐藤は反対したのが通らなかったのか、しかし出版部長が反対して通るというのはおかしい。したがって、佐藤が内容をよく知らずに会議を通過し、しかるのち企画をつぶしにかかったと見るほかないが、それがイデオロギー的なものでないなら、何が理由なのか。これを答えてもらいたい。
 また「暴言」については、佐藤は貴社の内部の人間である。したがって貴社は佐藤を含みこんだ団体であり、「その場にいなかった者」ではない。これは、今回の事件のさなかにおいては明らかに暴言である。佐藤がそのようなことは言っていないと主張しているのであれば事実の争いになるが、言ったことを認めつつ、貴社においては「よくあることですからね。いちいち責任をとっていたら首がいくつあっても足りませんよ」というのを暴言ではないと見なす、と考えてよろしいか。それはすなわち、貴社が謝罪する気がないということを意味する。