『文藝春秋』に、「私のモテキ」とかいう小文集成が載っているのだが、西村賢太はいいとして、井上章一齋藤孝は、結婚できたということを、まったく「もて」の範疇に入れていないから驚く。井上さんの、地位でもてるのは嫌だ、というのは前からのことだが、はっきり言って贅沢である。地位でもてる大いに結構、というのが大方である。 

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http://www.aozora.gr.jp/cards/000023/files/50188_39399.html
 徳田秋声の短編「挿話」である。名作であるとされているらしいが、冒頭から人がやたら出てきてしかも説明がいい加減なので頭がめちゃくちゃになる。秋聲はいつもこうである。それがいいと言う人がいるのだろうが、私には耐えられないものがある。私小説なのだろうが、勘弁してほしいと思う。

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高見順のことば―1960年のある座談会から
「ぼくは石原慎太郎君の近くに住んでて彼の生活をみてるけども、これはすごいね。ありとあらゆることをやって……ああいう生活で鍛えられて六十くらいになったら、こいつはまた変わった大変な化け物になるね。(笑)」

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今日出海の「森茉莉とその良人」(『新潮』1959年2月)を読んで暗然とした。もちろん、仏文学者で東大助教授だった山田珠樹である。50歳で死んだのだが、茉莉があまり悪く言うので、山田の弟子たる今が弁護するという態の文章なのだが、全然弁護になっていない。商売人の金持ちの家に育って、母は自殺したという。それも夫つまり珠樹の父の女遊びのせいだ。珠樹は金はふんだんにあったが、酒癖と女癖は悪かった。酒のほうは酒乱である。今が自分で酒乱と書いている。それで体を壊して養生し、ようやく治ったが、また酒を飲む。それで死んでしまった。豊島与志雄も酒はひどく、死の床でなお飲んでいたという。
 するとその息子の山田じゃく、これも東大仏文科教授だが、死ぬまで一冊の著書もなかった。蓮實先生は師匠だから褒めるようなことを言うが、これももしかしたら酒乱の類ではなかったか。
 「芳醇なワインのような小説」などと言われても、酒を飲まない私には、まずそうだな、としか思われない。西洋の小説を読むと、すぐパンとワインを出すが、よくワインなんかでパンが食えるもんだと思う。