何ゆえか井上ひさしを擁護する者あり

 『週刊読書人』に、西舘好子の『表裏井上ひさし協奏曲』の書評が載っていた。筆者は脇地炯という人で、1940年9月13日生、和歌山県生まれ。北大農学部卒、東邦大学薬学部教授を務め、文藝評論家として著書二冊。どういう立場の人か分からんが、『正論』に随筆を書いている。
 これがひどい。もちろん、井上の暴力沙汰を描いた本だが、脇地は気に入らないようで、うんざりする向きもいるだろうと書き、引用のつづれ織りで書評してから、前夫の死後、前妻が内情暴露するのはフェアではないと言う人もいるだろうがなどと言うのだが、ふざけちゃいけない。これは西舘の『修羅の棲む家』の書き直しであり、三女の石川麻矢(今は井上姓に復帰)の『激突家族』にも井上のDVのことは書いてある。それを知ってか知らずか、どのみちアンフェアなのは脇地とかいう奴のほうである。知って書いたなら筆を折るべきだし、知らなかったなら西舘さんに詫びるべきだ。  

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遠田(とおだ)勝『<転生>する物語 小泉八雲『怪談』の世界』(新曜社)は、描き下ろしの第一部が、ハーンの「雪女」が、民話として再利用されていく過程を調べており、本格的な論考といえる。最後には松谷みよ子が、それまで民話として流布してきたものをハーンを机上に置いて再度練り直したのではないかとしている。平川先生は新聞で牧野陽子さんの本を書評する中でこれにも触れて松谷みよ子を「いいかげん」と言っているが、これは松谷が左翼だからである。もっとも勢い余って「民話研究」までとばっちりを食っている。
 しかし松谷みよ子の「民話」なるものは、専門家の間では、まともな民話採集とはみなされていないのが実情で、何しろ戦争民話なんてものまである。私は以前ちくま文庫の『現代民話考』を読んであほらしくなったことがある。つまり松谷が創作したか、誰かが作ったかは別として、現代人が作ったのに変わりはなく、それは「民話」ではないのではないかと思ったのである。
 だいたい宮本常一の「土佐源氏」が、宮本の創作である、と分かったあたりから、もうこの世界はわやくちゃなのである。