藝養子と養子

 『猿之助三代』で、中村梅玉魁春東蔵について、歌右衛門の養子、藝養子と書いておいたら、梅玉魁春は養子で、東蔵は藝養子では、と言われた。
 ところが、梅玉歌右衛門の河村姓になっているが、魁春は平野姓である。さる箇所では河村になっているが、いつそうなったのか、分からない。中川右介さんによると、梅玉魁春歌右衛門夫人の兄弟の子で、魁春は夫人方の姓を継いだのだというが、それでは歌右衛門の養子ではなくて夫人の親の養子でしかありえないではないか。
 前々から不可解だと思っていたのが、『歌舞伎俳優名鑑』の、親の名が記されるところで、養子とも何ともせず、坂東玉三郎なら「守田勘弥」と養父の名が書いてあることだ。どこかに書いたはずだが、かつてNHKの古典藝能番組で、視聴者からの質問として、坂東玉三郎の父親は誰ですか、というのがあって、葛西聖司アナウンサーはにこやかに、「守田勘弥さんですね」と答えていたのだが、私はその視聴者は実父を知りたかったのではないかと思った。
 NHKというのは、歌舞伎にしても相撲にしても、癒着する。かつて『相撲』『大相撲』と、『グラフNHK大相撲特集』の三つの雑誌があったが、後半に入って大関が、勝ち越していない大関をわざと勝たせていたりしたのを、ほかの二誌は揶揄していたが、NHKの雑誌ではそういうことはまったくなかった。
 そういう意味では、NHKも八百長に加担していたのであって、他人事のように、五月技量場所を放送しなかったのに対して、私はカネ返してほしいと思っている。 

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こないだ新藤兼人の「どぶ」を観た。乙羽信子の思いっきり汚れ役で面白かったのだが、音楽が伊福部昭で、例のゴジラ地球防衛軍の音楽そのまんまが流れる。だがこの映画は『ゴジラ』と同じ1954年である。その前の吉村公三郎源氏物語』も伊福部で、光源氏と惟光が馬で走る場面が、やっぱりゴジラ音楽のピアノ演奏だった。マーラーもびっくりの使い回しで、いったいどの程度伊福部は使い回しをしているのだろう。しかし、その音楽がまた違和感のないところがすごいのだが。

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昨日、産経新聞に私の本二冊の評が出ていると聞いた。私の名前はめったに新聞に出ない。『新潮』『群像』『すばる』『文藝』にも出ない。出たら一種の出版事故である。
 まあそれはいいが、石原千秋氏には感謝するとして、
http://www.sankei.jp.msn.com/life/news/110529/bks11052907240006-n3.htm 
文学史上のストライクゾーンぎりぎり」というのはちょっと気になる。別に私が野球が嫌いだからではなくて、では村井弦斎だったり小杉天外だったりしたら「アウト」なのかなあ、と思ったからであるが、そうではなくて、ぎりぎり感がいい、ということなのだろう。