丹羽文雄の『ひと我を非情の作家と呼ぶ』を読んだ。自伝的エッセイと言うべきものだろう。丹羽は四日市の浄土真宗の寺に生まれたが、父は入り婿であった。姉があったが、母は歌舞伎役者と駆落ちした。だがそれは、父と祖母とが密通していたからである。父は後妻をもらい、異母弟妹ができた。姉は母の行為を苦にして米国へ渡って結婚してしまう。文雄は岐阜に住んでいる母にたびたび会っていた。父と祖父のことを、文雄は知っており、姉は知らなかった。
文雄は早大に入り、久松郁子という女と関係して、仏前結婚式を挙げる。同人誌に小説を発表していたが、卒業後は実家へ帰って家業を継ごうとする。その間、郁子は大阪で水商売をしていた。だが結局実家を捨て、夫婦で上京して作家生活に入る。ところがある日、妻の手帖を見つけてしまう。そこには、47人の男の名前が書かれており、それは妻が関係した男だった。四番目が空白になっているのは、丹羽のことであった。中には武田麟太郎の名もあった。丹羽は愕然とするが、そのうち、妻から性病をうつされる。遂に郁子と別れ、別の女と一緒になって、子供もできる。
丹羽は50歳の頃、祖母と父のことを描いた長編『菩提樹』を発表する。これはケネス・ストロングが英訳して『ブッダ・トリー』として出たが、姉がこれを読み、初めて事実を知り衝撃を受けた。丹羽は、私小説作家の犯す罪について考える。
しかし、あまり丹羽文雄を、私小説作家として認識している人はいないだろう。一般には、石川達三、舟橋聖一と並んで「風俗小説」の作家とされている。というのも、『菩提樹』以後の丹羽は、つくりごと小説を量産するようになってしまったからだ。またその閲歴が、小説的に過ぎる。丹羽は、長身の美男で、若いころの写真を見るとぞっとするほどである。恐らく美男美女の家系なのだろう。その辺が、丹羽を私小説作家と見なせない理由になっている気がする。