イタロ・カルヴィーノが死んだのは私が大学生の頃で、もちろん当時すでに『木のぼり男爵』などは出ていて、いずれ読もうと思ってはいたのだが、たまたま機会がなくて過ぎ、7、8年前に短篇集を読んだら面白くなかったのでそのままになっていた。
それを今回初めて『木のぼり男爵』を読んだ。18世紀後半のイタリアの貴族の息子が、12歳から木の上で生活するようになり、あれこれと波乱万丈な事件があって、最後はナポレオンに出会ったり、『戦争と平和』の登場人物であるアンドレイ公爵とロシヤ語で話したりする。これを、弟の視点から描いている。
途中で放り出すほどつまらなくはなかったのだが、はて、これは面白いのだろうか。これは、『まっぷたつの子爵』『不在の騎士』と、歴史もの三部作をなしているとのことだが、ただ一つ確実なのは、もう一冊読めと言われたら絶対に御免こうむる、ということである。
私は近ごろ、イタリアの近現代小説というのは何ともつまらないものだと思っていて、モラヴィア、マンゾーニなど読んだが、ぴんと来るものがない。ただし、パヴェーゼをまだ読んでいない。ウンベルト・エーコは『薔薇の名前』しか読んでいないが、カルヴィーノのこれに通じるものがある。つまり「通俗」なのである。中学生が読むのにちょうどいい、という気がする。
カルヴィーノ自身は元共産党だが、この小説には「精神」が欠けている。そして、20世紀後半以降の西洋小説で、日本で人気のあるものって、おおよそこういうものである、という気がしているのである。『小説から遠く離れて』現象は、日本だけのものではないらしい。
ところで翻訳は米川良夫だが、最後にロシヤ語が出てくるところ、お父さんの米川正夫に読んでもらって、発音をルビにして書き写したそうである。やれやれ、翻訳家も世襲かよ。
19世紀ロシヤ文学は、いかにロシヤがダメか、ということを出発点にしていることが多くて辟易するが、イタリアに関しては、いかにイタリアがダメか、という意識すら欠けている。古代ローマがあるからねえ。