http://d.hatena.ne.jp/tonyu/20100913/1284379832
 なんか抽象的議論が好きな人っているんだよね。単に私は、「中世とはいかなる時代か」とか、そういう意味づけは、しなくてよい、と言っているだけなのだ。それに、物理的事実は一つである。現に私の『里見とん伝』は、事実の羅列、と評されていたりするわけで、まさに「意味づけ」がないわけじゃないのだが、西原君には、意味づけがなさ過ぎると思われたわけである。で、別に意味づけをしてもいいのだが、それは「評論」であって、その部分に関して学問的論争をしたりすると、それはまさに、明治維新は革命か否か、といったバカバカしいものになると。
 ところでポパーの引用で「科学的記述は選択的で…」というのがここにあるが、ポパーは人文学なんか科学的記述だと思っていないと思う。
 なお哲学というのは、実証性を伴わないから学問ではない。まあ、過去の哲学者の訓詁注釈というのもあるが、それは何か「哲学学」みたいなものだろう。むしろ、自然科学ではないとされている数学こそ、哲学科でやるべきものではないかと思う。つまり数学科は文学部へ移して、心理学科(もちろん自然科学的な)を理学部へ移すと。