猫猫塾夏期講座(文学)

http://www.pipeclub-jpn.org/column/column_01_detail_77.html
 連載二回目です。「憎悪はもう…狂っている」はちょっと変ですね。

                                                                          • -

生徒:先生、小説とかを論じていて、「完成度」って言葉が出てきますね、あれは、どういう意味なんですか。
先生:お、それはいいところに気がついたね。こういうのはみんなたいてい、分かったような顔をして、訊くのは恥ずかしいと思っていたりするからね、そういうことをあえて訊くのはいいことだよ。で、辞書は引いたの?
生徒:はい、『日本国語大辞典』を引きました。
先生:それはすばらしい。最近はツイッターなんてのがあって、そこですぐ自分で辞書を引きもしないで人に訊く人なんかいるからねえ。で、何て書いてあった?
生徒:いやあ…もう簡単に、完成している度合いとか…。
先生:説明になってない、ってやつだね。
生徒:ああ、でも用例があって、埴谷雄高の、近ごろ、意図の高さを完成度より重くみるというような、と…。
先生:あ、それはいい用例だ。つまり…。
生徒:つまり、意図が高い、志が高ければ、少々出来が悪くてもいいと…
先生:そうだね。
生徒:じゃあ「完成度」って、出来のよしあしなんでしょうか。
先生:まあ、違うね…。しょうがない、種明かしをするか。
生徒:種明かし!?
先生:そう…。もちろん、推理小説の完成度、つまりどれだけ隙がないか、という意味もあるけれど、君が言っているのはそれじゃない。普通私たちは、小説を読んで「面白い」とか「感動した」とか思うよね。
生徒:ええ。
先生:ところが、「面白い」とか「感動した」っていうのは、純文学に対する評価じゃないんだ。それは大衆文学の評価なんだ。
生徒:まあ、その区別もよく分からないんですが…。
先生:それで、面白いとか感動したとか、じゃない良さのことを、時々「完成度」って言うんだな。
生徒:はあ。
先生:文章が彫琢されているとか、一文一文の完成度が高い、とか言うのは、要するに、あんまり面白くない、って意味なんだよ。
生徒:そうなんですか!?
先生:うん。文藝評論家と言われるような人は、もう人に馬鹿にされないように必死だからね、特に新人とか、自信のない人ほど、そうで、「面白い」なんて、純文学作品に対しては口が裂けても言えないんだ。
生徒:で、でも、完成度が高くて、面白いってことだって、あるんじゃないですか。
先生:小説はまず、面白すぎると「通俗だ」と言われる。最近は言わなくなったけれど、面白くない時は「完成度が高い」と言うんだ。
生徒:完成度が低くて面白くもない時は?
先生:そういう時に、「高い意図」とか言うんじゃないかな。
生徒:あ、なるほど。
先生:完成度が低い、とはあまり言わないよね。「完成度が高い」と評された小説は、実はまず面白くない、と見ていいんだ。
生徒:そうなんですか。
先生:そうだねえ…まあ、例外もあるけどね。夏目漱石の小説なんか、完成度から言ったら、ひどいものがあるよ。でも読まれているしね。だからまあ、「完成度」っていうのは、面白くないけれど真面目に書いていて、純文学ぽくって、文章がよくって、これを褒めておくと俺のポイントが高くなるぞって、批評家が思った時に、使いがちな言葉だってことだね。
(小谷野敦