諸井誠の『現代音楽は怖くない マーラーからメシアンまで』(講談社、1985)という本を見つけたので借りてきた。
私は、文学でも音楽でも「前衛」が苦手である。そこで、こういう題の本を見つけると(ほかにはたとえば『「ユリシーズ」演義』とか)、よしよしどれだけ「怖くない」と思わせてくれるか、前衛のあいつらどもが面白いのだと説得できるか、お手並み拝見と意地悪な根性になるのである。
結果、やっぱり怖かった。ここで諸井が章題に掲げているうち、リヒャルト・シュトラウス、マーラー、ドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキー、バルトーク、サティ、ヴァイル、ガーシュイン、シベリウス、バーンスタイン、メシアンは、もともと怖くない。怖いのは、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンである(あとプーランクもいるのだがこれは怖いとか怖くないとか以前のものがある)。それらの章を見ても、ひたすら音楽的データが並んでいるだけで、なんじゃこれはというような本である。十二音音楽は死ぬほど退屈だ。能よりひどい。(ピアノ協奏曲って十二音音楽じゃないし)
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小谷剛の芥川賞受賞作「確証」を初めて読んで、話には聞いていたがよくこんなものに芥川賞を与えたものだと思った。宇野浩二は選評で「一と口にいうと、不快な作品である。書かれてあることが『不快』であるばかりでなく、芸術の上から見て、作者の態度が、それ以上に、『不快』である。」「筆は『たっしゃ』なところはあるが、『わるだっしゃ』である。また、「自己弁護」は小説の邪道である。この作者は、要するに、救いがたいところがある。」と書いているが、作者本人を思わせる産婦人科医が、妻が留守なのをいいことに、診察に来て、就職の世話をした17歳くらいの女をものにしようとする話に、美人なのだがリットル病の女の、ちょっと引っかけようとしたのがからんで、こいつもやってしまおうと思うといった話で、胸が悪くなる。
のちに石原慎太郎が受賞した時も「第二の小谷剛」などと言われたものである。
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松沢呉一の『エロスの原風景』は、資料的価値のある写真も豊富だし、トルコ風呂の始まりが東京温泉だという定説にも疑念を呈していて面白い本である。しかし三日ほど前に四点つけてアマゾンレビューを書いたが、未だ掲載されない。思うにこれは「トルコ風呂」というのがアマゾン検閲に引っ掛かったのだろう。しかしこれは「トルコ風呂」でなきゃ意味ないのである。言葉狩りやめい!
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