『週刊読書人』の一面に「風花」じゃない、風なんとかいう無署名コラムがあって、そこに、瀬戸内寂聴が「奇縁まんだら」に書いた齋藤十一の話が引かれている。
要するに1957年瀬戸内が『新潮』に載せた「花芯」が性描写が過激だというので匿名時評で叩かれ、齋藤に、反駁文を書かせてくれと言いに行ったら、覚悟が足りないと言われて、以後五年間『新潮』に書かせてもらえなかったという話だ。
しかしこの話はもうおなじみのもので、瀬戸内は「極楽トンボの記」に書いている(初出『新潮』1967年9月、全集に入っている)。要するに老作家のネタの使い回しで、それは別にいいのだが、あたかも初めて聞いたかのように書いているのが何か不快で、もし本当に知らなかったならあんたはん素人やな、というところだ。
それにこの話は、「花芯」を書いたから干されたのか、反駁文を書かせてくれと言ったから干されたのか、実は分からない。それに、作家が作品を批判されて反論してはいけないというのはおかしな話で、もし齋藤が、匿名批評になど反論するな、と言ったというならまだ分かるのだが、風なんとかの書きぶりだとそうは読めないのだ。そんなのおかしいわけで、倉橋由美子は61年に『新潮』で江藤淳への反論文を書いている。
もしこれを書いたのが外部の文藝評論家だったりしたら、そうとうダメな奴だと思う。
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総武線と中央線がどういう関係にあるかについては、人それぞれに勝手な思い込みがある。私は以前、校閲がチェックしてきて、編集者と二人で調べて、とんでもなくややこしいものであることに気づいた。
一般には、千葉のほうから来て秋葉原を抜けてお茶の水へ達するのが総武線、神田から出発し、お茶の水を抜けて西へ延びるのが中央線だと思われているだろう。三鷹に住んでいる某美人学者など、快速が総武線で各停が中央線だと思っていた。
いずれも違う。あれは総武・中央線とされていて、両者を明確に区別するラインは存在しないのである。