http://d.hatena.ne.jp/chinobox/20100817
千野さんの判断は別にいいのだけれど、少しでも仕事が欲しいライターだったら、この程度のことは我慢して、11月、12月の書評を引き受けるだろう。私であっても引き受ける。千野さんは多分大学の先生だから、強く出られるが、私たちはそうは行かないから。特に相手が大手だったら、下手に出る。
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ウィキペディアの私の項目は不快になるからしばらく見ていないのだが、『AERA』の「現代の肖像」は三カ所事実誤認があるので使わないでほしい。あれは著者の追分日出子がまとめた『自分を生きる人たち』を出す時に訂正したからそっちを使ってほしい。あれは活字になる前に本人に見せないのである。
しかし「現代の肖像」ってのは嫌な企画で、宮台真司を同居人だった速水が書いたのは有名な話だが、私が活字になったのを見て追分に不満を述べたら、「そんな風に言われたのは初めてです」などと言って逃げてしまった。同じ頃、『噂の真相』で永江が私にインタビューしたのは、単行本に入れていいかどうか打診があったから断ったので、追分のは諾否を訊かないのかと晶文社の担当の奴(男)に電話で言ったのだが、それきり梨のつぶて、無断で出しやがった。
まあ、それはいい。俺が追分というのが気に入らないのは、ジャーナリストなら、不満だと取材対象に言われたら、どこがどう不満なのか、どう認識が違うのかを、徹底追及とは言わないまでもちゃんと話を聞くべきではないのか。だが追分は以後梨のつぶてで、単行本化にしたって晶文社に任せきりだったのである。こういう度胸のない奴はジャーナリスト失格であると言っても過言ではない。
それからウィキペディアだが、私小説を材料とするなら、その内容が事実であることを論じた論文なり評論なりを典拠として挙げなきゃダメである。
(小谷野敦)