夏目漱石が『三四郎』で「女は」という表現をやたらと使っていることは、詳しい人なら知っている。初めの「汽車の女」はともかく、美禰子も、名前が分かってからも、しばしば「女は」と書かれていて、石原千秋だったか小森陽一だったか、これを気にして、どういう使い分けなのであろう、などと書いていた。
しかし、漱石門下の林原耕三の『漱石山房回顧』を読んだら、これは「彼女」の代わりだったのである。「彼女」なんてのは、明治になって、西洋語のshe などの訳語として作られたもので、それ以前は男だろうが女だろうが「彼」だったのである。漱石はそんな語を使うのを嫌がって、「女は」とやっていたのだという。しかししまいに世間と妥協して「彼女」を使うようになったというが、『門』では既に「彼女」が使われている。