20年目の小沢一郎

 鈴木俊一が死んだか。99歳。えらく長く生きたものだなあ。
 91年の都知事選では海部総裁だったが幹事長小澤一郎が公明党との連携の意味から鈴木を下して磯村尚徳を立てて鈴木に敗れたものだが、その時の『週刊朝日』の表紙は鈴木の写真に「見たか、小沢自民党」だった。当時は海部はそれこそ鎌倉将軍みたいなもので執権小沢だったわけで、それが今は民主党で執権をやっている。うーん感無量である。

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西部邁先生は東大を辞める直前に、文藝誌にエッセイを書いていて「肩書はどうなりますか」と編集者に訊き、当時の文藝誌というのは巻末の著者紹介もなかったから、編集者が怪訝そうな顔で「文藝誌は肩書なしです」と言ったら西部は「まずった。この人、僕が東大教授の肩書をつけてほしがっていると思っているのだ」と思い、「いや、今度実は東大を辞めるので…」と説明したら編集者が、「そうですか、それで納得しました」と言った、というのだが…。
 東大教授の肩書をつけたがるのは俗物、という判断はまあいいとして、人から俗物だと思われたくない、というのが既に俗物である。ところがいったん東大を辞めると、「評論家」というのは蔑称めいたところがあって、などと言って「著述家」と名乗っていた。その後、鈴鹿国際大学教授をしていたが、この肩書はほとんど使ったことがなく、「『発言者』主幹」になったりしたが、「秀明大学学頭」もあまり使っていないな。
 それがどういうものか、「文藝評論家」になると、「評論家」より上になるらしい。私も、「評論家」と言われることはあるが、自発的には「比較文学者」である。もっとも私の場合俗物であるから、万が一東大教授になったらそれを使う。ただし「大学院教授」というのは使わない。あれはおかしいのである。まあ、そんな可能性はゼロ…いや革命が起きる可能性もあるからゼロではないか…。

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谷沢永一の、孫引きはいかん原典から引けという文章を読んだ。1969年のもので、関西大学での講義初日という形式をとっている。この文章がどれか単行本に入っているかどうかはわからない。もっともこの文章は、吉田精一自然主義の研究』の引用がいかに出鱈目かを示すものでもあるようだ。
 とはいえ、そりゃ孫引きより原典引きのほうがいいに決まっているが、関西大学の図書館なら充実していようが、地方の小大学の教員、学生など、そんなことを言っていられないのが現実である。まあしかし今は、資金さえあれば国会図書館でたいていのものは複写郵送してくれるし、いずれは全デジタル化されるであろうから、国文学研究も革命が起こるであろう。