「元朝日新聞記者」から考える

 車谷長吉の事件で、栗原さんの本に竹信悦夫『ワンコイン悦楽堂』というのが参考文献とししてあがっていたから、図書館で見てきた。書評集で、車谷に関する記述は大したことなかったが、表紙に「元朝日新聞記者」とあるが、中を見たら2004年に水死していて、竹信三恵子という人が夫人で同僚記者だったらしく文章を書いていたが、それが「竹信悦夫さんは」と書かれている。何だこれは。貴乃花親方が「花田勝さんは」と言っていたのを思い出した。もしかして伊田某の「シングル単位」か何かの発想であろうかと思ったが、それなら入籍して姓を同じくし、通姓ですらないのが変だ。
 それはいいとして、死んでいる人に「元朝日新聞記者」というのが、私にはひっかかる。はじめこの肩書を見て、朝日記者を辞めた人かと思ったが、要するに死んで「元記者」になったわけである。
 これは「元名誉教授」にもあることで、名誉教授というのは称号だから、剥奪でもされない限り生涯名乗れる。そこで、死んで初めて「元名誉教授」になるわけ。ウィキペディアなんかで「名誉教授に就任」とあるのは、ありゃおかしい。
 だがそうなると、死後は何も変わらないから永遠に「元名誉教授」になるわけで、だとすると夏目漱石は「元作家」になってしまうわけ。
 たとえば今は、麻生太郎が「前首相」で、首相が変わると「元首相」になるわけだが、いったいいつまで元首相かと。死んでもまあ元首相かもしれないが、伊藤博文を元首相とは言わない。つまり、どこまでが「死んだ人」で、どこから「昔の人」になるのかということである。