草間平作の壮絶人生 

 ヒルティの『幸福論』『眠られぬ夜のために』は草間平作が岩波文庫に訳して版を重ねているが、この草間平作がどういう人か、ほとんど知られていない。草間は小説も書いており、唯一の著書である創作集『夢と燕』には、草間自身による、驚くべき生涯が描かれていた。以下、年譜を掲げる。

草間平作(1892−1985)

1892年7月、長崎県平戸生まれ。本名・牧田正彦。
1906年、北九州の東筑中学校入学。14歳
1912年、中学卒業、父のいる東京へ戻り海老名弾正に会いキリスト教に親しむ。 20歳
   第七高等学校造士館卒業。
1919年、東京帝国大学法学部独法科卒業、父の勧めでS子と結婚  (27歳)
  有島武郎の援助で京都帝大哲学科に学ぶ。
1921年、ケルレル『村のロメオとユリア』を新潮社から訳出。  29歳
  父の病気のため両親を京都に引き取る。二児ができる。
1922年‐23年 同志社大学予科講師をする。          30歳
1923年、ベーベル『現代の婦人』を弘文堂から訳出       31歳
   有島の情死、関東大震災
1924年 妻死去、『道徳の経済的基礎』シユタウデインガー(弘文堂書房)  32歳
  京都の商家の娘C子と再婚する。
1925年 『ストリントベルク全集 第5 島の農民 ヘムゼエ島の人々』岩波書店、草間平作の筆名を使う。                            33歳 
  妻の実家が倒産、妻は肺病を病み、芦屋、鳥羽へ転地。
  この頃、たき子15歳が女中として来る。
  妻は肺病が治癒に向うが神経症を病み和歌山県の山村の療養所に入るが一ヶ月で逃げ帰る。
  志摩半島の磯部に転地。
1929年、河上肇の推薦で『婦人論』を岩波文庫に入れる。       37歳
   スチルネル『唯一者とその所有』を岩波文庫に訳出。
   たき子との間に子が生まれ、京都へ送る。
1933年、『島の農民』を岩波文庫に、『反マルクス論』カール・ムース(世界大思想全集)春秋社                                 41歳
1934年、『村のロメオとユリア』岩波文庫              42歳 
1935年、『幸福論』ヒルティ(岩波文庫)              43歳 
1936年、『眠られぬ夜のために』第1部 ヒルテイ 岩波文庫       44歳 
1945年、敗戦直前に長崎県田平町に帰郷。              53歳
1950年、『眠られぬ夜のために』第2部上              58歳
   5月、「昨夜の思想--呑気なしかし真面目な手紙」『世界』
1956年7月、「余賀家の悪魔」『心』               64歳
1957年12月、「池の伝説」『心』                 65歳
1958年12月、妻、結核性腹膜炎で死去。              66歳
    35歳の寡婦F子と結婚。
1960年、『眠られぬ夜のために』第2部下、大和邦太郎共訳。     68歳
1962年、『幸福論』第2部、大和共訳。               70歳
  F子が大腸がんを患う。手術で摘出。
  12月、『心』に「崖」を発表。
1965年、『幸福論』第3部、大和共訳で完成。            73歳
1966年、妻が卵巣がんを再発、十か月のち死去。たき子が戻ってくる(54歳くらい)74歳
1969年7月、「おもちゃの細君」を『心』に発表。          77歳 
1972年9月、「ステンドグラス」を『心』に発表。          80歳 
     不眠症に苦しむ。                   
1973年6月、『心』に「夢」を発表。                81歳 
1978年、藤林益三との交友が始まる。               86歳
1979年10月、「最後の人」を『心』に発表。            87歳 
1980年5月、藤林「草間平作氏のこと」『法曹』          88歳
1983年2月、『夢と燕 草間平作創作集』を東京布井出版より刊行。  91歳
1985年 死去                           93歳

 三人の妻を亡くしており、その間、女中に子を産ませて、これが四人目の妻となっている。特にその文章に描かれた二番目の妻の実家の悲惨、そこから来る妻の神経症、そして草間がある晩、あまりの苦しさから妻を殺そうとする場面もある。
 この程度の翻訳で生計が成り立つわけはないから、極貧、しかも京都へ仕送りもしていたといい、戦後は生計のため兎を飼っていたという。
 ヒルティは広く読まれたが、その訳者が初訳から半世紀、こんな壮絶な人生を送っていたとは、みな知らずにいるのである。